2025年よりヒーコが運営するギャラリー「see you gallery」のマネージャーを務める中川森さん。大学では醸造学を学び、卒業後は洋服屋、カフェ、衣料品のリペア、建築など、さまざまな仕事を経験してきました。
一直線のキャリアではなく、興味や縁に導かれるように歩んできた時間。その過程で得た感覚は、今、展示運営の裏方として、作家と来場者をつなぐギャラリー運営にも静かにつながっています。
ギャラリーに来るまでの時間。この空間にある壁や床、光、空気。作品の前に立つまでの経験の全てが体験として昇華する場所を、中川さんはどのような思いで支えているのでしょうか。
文脈をたどる。ジャズ、醸造学、そして古本屋で培った感覚
― 10代、20代の頃、何に夢中になっていましたか?
大学に入った頃、ジャズにハマりました。サークルに入って、聴くだけでなく演奏もしていました。ただ、音楽そのものにがっつり入り込んでいたというよりは、ジャズの文化がまとう空気感に惹かれていたように思います。
― 影響を受けた人物はいますか?
マイルス・デイビスです。彼について詳しい知識があるわけではないのですが、長く第一線で活躍し続け、さらに自分を変化させ続けている。そこがかっこいいなとずっと思っています。

― 大学では醸造学を学んでいたそうですね。
農業系の大学で、お酒について学びました。家族がみんなお酒に弱くて、だからこそ逆に興味が湧いたんだと思います。
当時はインターネットが今ほど普及していなかったので、情報を得るには人に会ったり本を読んだりするしかありませんでした。先輩から教えてもらった中古レコード屋に行き、古本屋をぶらぶらする。自分が得た一つひとつの情報に、教えてくれた人の顔と名前がついていた時代です。だから今でも、何かを好きになる時には、そこにたどり着くまでの文脈みたいなものを大切にしている気がします。
本もよく読みました。英米文学やSF、サリンジャーやドストエフスキーなどを古本屋で買って、喫茶店でひたすら読む。そういう時間が好きでしたね。

in my room / Kyosuke Azuma
身体で判断する。誠実さの在り方と、歩んできた道
― 大学を卒業後、洋服屋、衣料品のリペア、カフェ、建築とさまざまな仕事を経験されています。
この仕事に就こう、これを成し遂げようというような大きな意志があったわけではなく、不意に手に取ったような感覚で選んだ仕事を飛び石に、ここまで着地してきた感じです。
― そうした多様な経験が、今のギャラリー運営にもつながっているのですね。中川さんが何かを判断するとき、どんな基準がありますか?
自分は、判断に時間がかかるタイプです。論理的に考えるよりも、身体的な感覚に落とし込んでから判断したいのがその理由です。ロジックで考えて、そのうえで自分が、例えば、やる・やらない、好き・嫌いのどちら側に踏み出すかを、少し離れたところから見るような状況に持っていく感じです。
― 生きていく上で大切にしていることはありますか?
誠実でありたいということです。言葉だけで自分の思いを完全に相手に伝えるのは、とても難しいと思っています。だからこそ、誤解されたままにせず、すり合わせながらお互いを理解し合っていくことが大切だと思っています。自分のことをちゃんと相手に理解してもらいたいという気持ちがあることを、示していきたいです。

Images as Matter / Goshi Uhira
全体を見ている視線。幼なじみ・黒田との縁
― ヒーコ代表・黒田明臣さんとは幼なじみだそうですね。
幼稚園に入る前からの付き合いです。対等といえば対等なんですが、イニシアチブを握っていたのはいつも黒田の方で、自分はついていく側でした。子ども時代に時々「人って死んじゃったらどうなるんだろう」みたいな哲学的な話を二人でしていました。
― 中学・高校時代はどうでしたか?
自分は本や音楽などに触れ、内向きな世界を深めていったんですが、黒田はどんどん外へ世界を広げていきました。高校生になると家の近所でたまに会うくらいになったけれど、会うたびに黒田が世界を広げていく様子を見せてもらって、自分とは対照的ですごいなあと、ずっと思っていました。
― 大人になってから再び関わるようになったきっかけは?
黒田の結婚を機に再び連絡を取り合うようになって、仕事の話もするようになりました。「機会があったら一緒にやろう」という話をしているうちに、気づいたらここにいた、という感じです。
― 幼なじみが経営する会社で働くというのは、どんな感覚ですか?
とても働きやすいです。縁のある人と一緒に仕事をするというのは、面白いことだなと感じています。ヒーコに関わるようになって、今まで知らなかった奥行きのある世界へ、迷宮に入り込むように少しずつ引き込まれていく感覚があります。
― 幼少期からずっと見てきた黒田さんについて、変わったところと変わらないところはありますか?
服の趣味がだいぶ良くなったなとは思いました(笑)。変わらないのは、物事を一方向からではなく、全体を見渡してバランスを整えようとするところです。子どもの頃から、遊びの中でも自然と視点を切り替えるようなところがありました。例えば、室内でゲームを長くやっていると、「そろそろ外で遊ぼうか」と言い出すようなところがあって。ひとつのことに入り込みながらも、どこかで全体のバランスを見ている感じは、昔から変わらないなと思います。

この場所でしか生まれない体験。ギャラリーが存在する理由
― 作家を支え、来場者を迎える立場から、ヒーコがギャラリーを運営している理由をどう考えていますか?
デジタルな分野で活動している会社がリアルな場とのバランスを取るためだと解釈しています。オンラインとオフラインでは、情報量が桁違いなんですよ。ギャラリーには地面があって、壁があって、他に見ている人がいて、ここに来るまでの時間が必要で、それら全部が情報として作用する。オンラインでは得られない体験が、そこにはありますよね。作家にとっても来場者にとっても、作品だけでなく、その作品が置かれる場所ごと受け取れる。場所そのものを丸ごと受け取れるのが、ギャラリーの大きな価値だと思います。
― ギャラリーの運営は、ビジネスとして、必ずしも効率的ではない部分があると思います。それでも続けている理由は何でしょう?
合理性だけでは測れない価値があるからこそ、ギャラリーがあるといい。そう思っています。ビジネスとして成立させる前提は持ちつつ、短期的な収益だけではこぼれてしまう価値を扱える場所でもあると思います。取引先の方、ヒーコとは直接関係ない方、作家、作家のファン。多様な人が同じ場所に集まれる面白さが、ギャラリーにはあります。

作家と来場者の間にある場を支える視点
― see you galleryでの作家との関わりで、中川さんが大切にしていることは何ですか?
裏方に徹することです。とにかく支えることを意識していて、作家には何でも言ってもらえるようにしたいと思っています。ただ現実には、物理的な制約などで全てのご要望にお応えできないこともあります。その中でどうすればよりよい形にできるか、最適解を出せるよう日々試行錯誤しています。
― 来場者との距離感はどうですか?
なるべくフランクに、積極的に話しかけるようにしています。see you galleryがまだ広く知られていない中、来てくださっている方が多いので、作品や展示についての話ができると、来てよかったと思ってもらえる気がしているからです。作家の表現と来場者の受け取り方の間に、小さな橋をかけるような役割ができればいいなと思っています。
― ギャラリーを運営するなかで、印象に残っている出来事はありますか?
扇風機の話は忘れられないですね。大きな旗を扇風機で揺らす展示があったんですが、当日になって、扇風機の音が大きすぎることが判明して。すぐに黒田が自腹で小さな扇風機を買ってくれたことで対応できました。このとき、準備を万端にしていても、現場ではそういう突発的な出来事が起こるものなんだと改めて思いました。

展示している作品に買い手がついた時は、本当にうれしいです。作家にとっては自分の表現が誰かに届いた証で、来場者にとっては作品と共に生きていく時間の始まりだと思っています。やっていてよかったと最も強く感じる瞬間です。
― see you galleryの運営を通じて、ここがどのような場所でありたいと思っていますか?
作家が、今までとは少し違う角度から自分の活動を見られる場所になればいいと思っています。ここで作品を展示したことを、誇りに思えるような場所にしていきたいです。
今の環境は理想的だと思っています。ただ、もう少し多くの人に知ってもらえるような場所になれるといいなとは感じていて。新しいことを思いついたらやってみる、そういうスタンスで続けていければと考えています。
― そういった「思いついたらやってみる」というスタンスは、ヒーコ全体にある文化なのでしょうか。
そうですね。皆さんとてもやさしくて、新たに何かをやってみようという時に後押ししてくれる雰囲気があります。直接一緒に仕事をしているわけではないメンバーも、話しかけてくれたり、居場所をつくってくれたりする。そこにいていいんだと思わせてくれる環境が、自然とそういう文化を生んでいるのかもしれません。

― ヒーコのメンバーを見ていて、どんな人が集まっている会社だと感じますか?
ヒーコという環境そのものを、自分の挑戦や表現の場として主体的に活かしている人が集まっている印象があります。与えられるのを待つのではなく、自分で機会を作っていける強さがある。そういう人たちと一緒に働けていることが、純粋にうれしいですね。



