さまざまな雑誌やメディア、広告などで活躍するフォトグラファーたち。彼らはどのようにして写真と向き合い、撮り続けているのでしょうか? 活動を続ける上での「中核」となる価値観について、詳しくお話を伺います。
今回は、写真家として唯一無二の存在感を放つ一方、東京・品川の「same gallery」や京都・左京区の「koen」のディレクター、ラーメン店「ラーメン吉祥丸」やフレグランスブランド「kibn」のプロデュースなど、ジャンルレスに活動する嶌村吉祥丸さんにインタビュー。作品における価値観や、それぞれの活動に共通する想いなどについて、詳しくお話を伺いました。
写真を撮るときの無意識に、潜在的な思想が影響している

―― 今や国内外から注目される写真家である嶌村さん。写真を始められたのはいつ頃でしたか?
今、僕がフォトグラファーとして仕事をさせていただいているのは、主に音楽・ファッションといったカルチャー領域なのですが、幼少期や学生時代はサッカーに打ち込んでいたこともあり、そういった分野とは無縁の環境にいました。
写真に出合ったのは、学生時代に古着などのファッション分野に関心を持った頃です。“写真に撮る・撮られる”という言語を必要としないコミュニケーションを知り、「これは自分の性格に合っている」と感じたのを覚えています。そのうち常にカメラを持ち歩くようになり、趣味で友人などを撮影するようになりました。
―― 当初から、写真家を志していましたか?
いえ、まったく考えていませんでした。人生でサッカー以外に夢中になれるものに出合ったことが初めてだったので、「写真家になろう」「写真を仕事にしよう」ということも考えず、ただピュアに写真を撮ること自体を楽しんでいたように思います。そのときには、他の写真家のことも存じ上げなかったので、「こうなりたい」と憧れる方や、ロールモデルにしようと思う方もいませんでした。
身近に写真について教えてくれる方はいませんでしたし、当時はノウハウを学べるYouTubeなどもあまりなかったので、技術面もほとんど独学で身につけていきました。幸運にも、比較的早い段階で写真のお仕事をいただけるようになりましたが、自分でキャリアを形成していったというよりも、いつの間にか流れ着くようにして現在がある、という感覚です。
―― 嶌村さんはクライアントワークでも注目される一方、国内外で写真展を開催されるなど、パーソナルワークにも積極的に取り組まれています。作品にはいずれも一貫して東洋哲学的な思想を感じるのですが、ご自身の作家性はどのように培われたと思いますか。
一昨年に、初めての作品集として『what is good?』を出版しました。この本には約10年間撮ってきた写真を収録しているのですが、見返してみると自分でも「無意識に“良い”と感じたモノや景色は、それほど変化していないかもしれない」と感じます。
僕は目黒不動の近くに生まれたのですが、通っていた幼稚園も寺院付属でした。幼い頃から少林寺拳法を習っていたこともあり、自分を形成する潜在的な部分には、東洋哲学の影響があるのかもしれません。

―― 普段、作品はどのように生み出しているのですか?
僕の作品はコンセプチュアルに見えるかもしれませんが、実際には、撮る時点では特定のコンセプトを定めていないことが多いです。作品づくりは、撮影時に出逢ったものや人、または景色をベースに、あとからコンセプトや言葉をのせていくということが多いです。僕の作品に一貫性があるとするなら、それは写真を撮る際に緻密な計算をしているというよりも、何も考えずに潜在的な意識が働いている、ということなのかもしれません。
とはいえ、ここ数年は自分主導の展示よりも、カメラメーカーやブランドと協業する形で開催させていただく展示の機会が増えて、機材や展示のタイミングが確定していることがほとんどだったので、ある程度撮影時にも作品や展示について考えなければいけない部分はありました。
―― なるほど。完全にご自身主導ではなく、企業と協業して展示を開催する場合に、難しさを感じることはありますか?
たとえばカメラメーカーさんと協業する場合、“新機種で撮る”ということと、展示の会期・会場だけ決まっていて、作品のコンセプトやモチーフなどはすべて僕に任せていただけることが多いです。そういった場合、縛りはありつつ自由度も高いので、極端に難しさを感じるということはないですね。
一方で、こういった協業した形で開催する展示の場合、会期が決まっているということで、作品を印刷するまでの〆切が設けられているので、それまでには絶対に作品を生み出さなくてはなりません。自分主導の場合には、それほどシビアに展示時期を決めていないのですが、会期がしっかり決まっているときには、自らコンセプトをリサーチしたり、本を読んだり、能動的なことをして、多少無理にでも作品を生み出すための土壌をつくります。
そういった作品のつくり方をネガティブに捉えているわけではありません。いつも展示をさせていただく度に「この機会だったからこそ出逢えた景色や、できたものがある」と感じています。

―― 展示以外のクライアントワークでも、嶌村さんの作家性を重視したものが多い印象です。ご自身では、パーソナルワークとクライアントワークにおいて、どのような意識の違いがあると思いますか?
たしかに、クライアントワークでも「自由に撮ってほしい」と言っていただくことはあります。おそらくそういう場合、依頼してくださる方は僕の過去の仕事や作品を見てイメージしてくれていると思うので、「自由に」といってもどのようなベクトルで依頼されているのかは、それぞれ異なると思います。ですから、そう言っていただくような場合にも、事前に打ち合わせは密に行います。デジタルがいいのかフィルムがいいのかといった部分から、僕の過去の作品でいったらどのような質感がいいのかという、細かいところまで。
もちろん、ブランドの世界観を出したいなど、ある程度お題をいただく場合も同様です。そのブランドやコレクションがどのようなものになるのかしっかり言葉で伝えていただいて、僕のなかで理解を深めた上で、「それならこういったアプローチがいいのではないか」などと相互にアイデアやコミュニケーションを重ねた上で提案させていただくようにしています。
プロジェクトによっては、広告代理店などが入らず、少ない人数でのスモールチームでつくっていく場合もありますが、そういったときにはフォトグラファーだけでなく、クリエイティブディレクターやアートディレクターのような役割を担うこともあります。そのプロジェクトによって、僕の立ち位置や求められることは異なりますが、往々にして、クライアントワークで自分の好きなようにやる、ということはありません。
―― クライアントの要望に対して、とても真摯に向き合われているのですね。パーソナルワークでは、鑑賞者の目線を意識することはありますか?
展示空間をつくる上では、とても意識しています。展示においては、あまり答えを明確にせず、拓かれた問いを提示したいと考えているのですが、鑑賞者の身体的動きや、写真との物理的距離感といった部分は、とくに意識して空間をつくっています。

―― かなり積極的に展示を開催されている印象ですが、嶌村さんにとって、写真展は大切なものなのでしょうか。
大切というより、写真の観せ方として、写真展がもっとも今の自分の性に合っているんです。ほんとうは、写真集も定期的に出せたらと考えていますが、写真展のほうが、これまでの経験値があるぶん直感的に動くことができるので、展示ばかり行っていますね。
ギャラリー、ラーメン店、フレグランスブランド。それぞれの活動にかける想い

―― 嶌村さんは、ご自身も作家として写真展を開催する一方、東京・品川の「same gallery」、京都・左京区の「koen」ではディレクターも担当されています。こちらはどのような想いでスタートされたのでしょうか。
「same gallery」を立ち上げる前に、東京・中目黒のギャラリー「W+K+」の運営に2016年から携わっていたのですが、クリエイティブエージェンシーの自主ギャラリーだったこともあり、自由度の高さや金銭的負担の少なさといった面で、作家に対してとても優しい場所でした。都心にあるギャラリーではどうしても売り上げを立てることや高額なスペースレンタル代を支払うことが必要となるので、若手の作家にとっては展示を開催すること自体がハードルになってしまうため、こういった作家が実験的に展示をできる会場は必要だと考えていました。
ところが、2019年に「W+K+」をクローズすることになってしまいました。それなら、僕たちで次の世代が展示をしやすい場所をつくろうと思い、クリエイティブディレクターの長谷川踏太氏と2020年に立ち上げたのが「same gallery」です。
京都の「koen」に関しては、2023年に立ち上げたフレグランスブランド「kibn」が大きく関係しています。「kibn」を体験できるコミュニティスペースをつくろうと思っていたとき、京都にとてもいい物件を見つけたのですが、偶然そのタイミングで見つけた物件の隣の物件も空いたので、そこで京都でもギャラリーをはじめることにしたんです。「kibn」のショップも、プロダクトがずらりと並んでいる店というよりは、フィジカルなコミュニケーションの場にしたいと考えていたので、最終的にはショップ・カフェ・ギャラリー・アトリエが併設する複合的な施設になりました。

―― ギャラリー、フレグランスブランド、そしてラーメン店と、近年は写真以外のご活動にも、かなり注力していらっしゃいますよね。
ふり返ると、2020年に「same gallery」を立ち上げて2024年に「koen」をオープンするまで、立て続けに写真以外の活動をスタートさせてきました。「ラーメン吉祥丸」を始めたのも、2021年。それまでクローズドに開催していた「スナック吉祥丸」をコロナ禍によって閉業せざるを得なくなったとき、お世話になっていた「JINNAN HOUSE」のオーナーから「ラーメン屋をはじめてみないか」とお誘いいただいたことがきっかけでした(※現在「ラーメン吉祥丸」は祐天寺にて実店舗を準備中)。

―― ギャラリーとラーメン店には、人が集まる“場”という共通点があるように思いますが、「kibn」はどのような想いで始められたのですか。
ここ最近、写真や動画といった分野に限らず、AIの存在は無視できないものになっていますよね。極端にいえば、スタジオを借りて、モデルさんを呼んで、機材を借りてフォトグラファーを呼んで、予算をかけてつくっていた広告が、ワンオペで低コストで生成できてしまうような時代になりました。一度パンドラの箱を開けたら、我々は後戻りすることができない。利益を優先する会社ならば、ディレクターとプロンプターだけでビジュアル制作を完結するようになるでしょうし、この先のクライアントワークはクライアントの意思次第でどんどんとAIに置き換えられていくだろうと思います。
一方で、個人的に“香り”という存在は、AIからもっとも離れた位置にあるものだと思うんです。香りは脳の記憶とダイレクトに結びついていますし、感じ方に個人差があるから、言語化したとしても再現することは難しい。そこにおもしろみを感じて、香りに関係するプロダクトを始めようと思ったことが、「kibn」をスタートするきっかけでした。
「kibn」を起点としたショップをはじめたのは、直接商品の香りを確かめてもらいたかったことと、香りを通じて人と人との対話が生まれてくれたら、と考えたからです。プロダクトを前面に押し出したショップというより、フィジカルなコミュニケーションが生まれる場にしたいという想いがありました。

―― ジャンルレスに活動されているので、かなりお忙しいのではと思ってしまいますが……。
そう見られることも多いのですが、良くも悪くもオンとオフの境界線があいまいなタイプなので、「仕事ばかりしている」という感覚はないんです。展示やポップアップが重なると「詰め込み過ぎてしまった」と反省したりもしますが、基本的には撮影以外にそれほど物理的に忙しくなることはないので、日常的に様々なプロジェクトや仕事を横断しながら楽しんで活動しています。それも、それぞれの活動におけるサポートやチームのおかげでもあるので、アシスタントを含めて関わっていただいている周りの方々には感謝しています。
活動や作品にバイアスがかかることは望ましくない

―― これまで活動されてきたなかで、スランプを感じたことはありますか。
写真活動においては、わかりやすくスランプは感じたことがないかもしれません。作家として何かを生み出そうとしていなくても、クライアントワークで出会えた人や環境、リサーチの過程で学んだことなどを自分の作家活動に持ち帰ることで、無理なく作家としての写真活動も同時に続けられていると思っています。
ただ、映像の分野では、コンプレックスのようなものを感じていた時期もあります。ミュージックビデオの撮影や監督を担当することもあるのですが、「世の中にはCG表現を用いたテクニカルな演出が見事なMVがたくさんある。僕は基本的に“在るもの”をドキュメントしていく考えをベースにしていたので、“無い”ものを映像的に伝えるような想像力は乏しい」と感じてしまったんです。もちろん、そういったテクニカルな演出もできるようにならないとと思ったわけではなく、シンプルなアプローチであっても、それぞれの映像表現における演出の在り方やもっとできることはあるはず、と悩んだという話なのですが。
―― けれど、悩んだとしても、映像をやめるという選択肢は出なかったのですね?
そうですね。今でもご縁があってMVやファッションフィルムなどの依頼をいただくことはあるのですが、写真ではできない表現もあり、自分なりに悩みながらも楽しんで取り組んでいます。
―― 本当にさまざまな才能をお持ちで、ご活動の全体を見ると「写真家」という枠には収まらないように思います。それでも、やはり写真は特別で、主軸であり続けるものですか?
たしかに写真は特別です。けれどそれは、すべてのプロジェクトのきっかけや根っこにあるものが写真活動であり、アーティストとして表現する媒体の中でもより純粋に伝えることができるという面があるから、という意味で、ほかの活動の優先度が低くなっているということはありません。個人的には、写真も映像も、ギャラリーも、ラーメンもフレグランスも、決してバラバラなものではなく、“ひとつの大きなお皿にのっている”という感覚なんです。

―― ご活動に優先度をつけていないというのはすごいですね。
僕はビジネスに特化した人間ではないですし、野望をもって突き進むタイプでもないので、一般的な経営判断でいうと、それぞれがビジネスとして成功している訳ではないと思います。
僕は「関わってくれている人たちに経済的にも精神的にも対価を受け取ってもらえるように、なおかつ経済活動を優先せずとも各プロジェクトが緩やかに持続可能で良い循環を生み出し続けている状態が良い」と考えていますが、そういう感覚をもって活動できているのは、やはり写真業という軸があるおかげだと思います。現状ではまだまだきちんと対価を恩返しできているとは言えないビジネススケールではありますが、こういう感覚をもっている人間が場を創造しない限り、資本主義的なフレームワークを優先した場しか、世の中に生まれなくなってしまうのは悲しいことです。だから僕は、自分のできる範囲で、そこに集まる人やもの同士が豊かな循環を生み出せるような場を小さくてもつくって継続していきたいんです。
もちろん“嶌村吉祥丸”という存在を知らない方にも、それぞれの場を楽しんでもらえたらと思っています。自分でも、あえて作家活動とそれぞれのプロジェクトの関係を一方通行にしているところがあって、僕を知っている人がギャラリーやブランドに向かっていくことがあっても、その逆は積極的に起こらないように意識しています。

―― ギャラリーやフレグランスブランドなどを利用した人が、「嶌村吉祥丸」という写真家について知る構図はなくしている、と?
そうですね。実際に、僕の知り合いのなかにも、僕がプロデュースをしていると知らずに「kibn」の商品を買ってくれた人がいました。ブランドのプロダクトやコンセプトに共感してくださったり、場所の存在や概念をベースとして、それぞれの活動の拠点やコンセプトに共感した人の小さい波紋が少しずつ広がっていくようなおもしろさがあると思うんです。男性であり、写真家であり……といった僕のペルソナがそれぞれの文脈に過度に影響せず、ピュアにその場の空気感が生まれたり、プロダクトの思想や魅力が伝わっていく、というのが。
もちろん、場所や概念から個人に紐づく感覚もおもしろいと思うのですが、受け取り手にとって余白のある捉え方をできるように意識しています。
―― 嶌村さんは、年齢や顔も非公開にされていますし、あえてすべてのご活動に匿名性をもたせているように感じるのですが、それはなぜですか?
活動や発する言葉に、特定のバイアスがかかることを望ましく思っていないからです。もちろん、実際にお会いした方には僕のビジュアルは必ず認知されますし、トークショーやラジオのお仕事もさせていただく機会もあるので、そういったシーンでも隠したいとはまったく思っていないのですが、無差別に認知されるのは避けています。
写真家というのはビジュアルを扱う仕事ですから、自らが顔出しすることで「この人が撮っているんだ」と説得力をもたせることができる面もあります。一方、そのビジュアル同士が接点を持ってしまうという点や、比較的若い時に活動をスタートしたために「新進気鋭の若手写真家」などとラベリングされてしまったり、表現している写真活動以外の情報で判断されることに違和感をもちました。ですから、活動初期からずっと年齢と自分のビジュアルは公にはしないようにしています。
―― 先ほど、ロールモデルとなる人物はいないとおっしゃっていましたが、実際に嶌村さんは、業界において唯一無二の存在となっていると思います。ご自身としては、現在の立ち位置についてどう思われますか。
僕も、先人たちの写真や言葉から学ぶことはたくさんありますが、時代が急速に変化している現在ではロールモデルをもったとしても途中で破綻してしまうのではないかと思います。例えば森山大道さんや荒木経惟さんのような作家を目指したとして、同じような立ち位置になれるか、彼らのようなスケール感をもてるかというと、難しいのではないでしょうか。個人的には、誰かを目指すのではなく「今自分の置かれている状況にどうレスポンスするか」ということを考えていかないと、既存の誰かを代替する存在にしかなれないと思います。
先ほど、僕の作品は東洋哲学的だと仰っていただきましたが、西洋美術の文脈における写真とは近年意図的に距離をとるようにしています。前提として、写真というのは基本的には複製できるものですから、西洋美術的な価値観の元で写真の価値を作家側から提示するのには違和感があって、崇高なものではなく、日常の延長にあるものにしたいと思っているんです。それこそ、日本文化の文脈でいえば、“民藝”のようなもの。これから先に考え方や価値観が変化していくかもしれないですが、最近はそのように考えています。

―― 今後のご活動のビジョンや、目標のようなものはありますか?
先ほどもお話したとおり、ここ数年は、0から1を生み出すようなことをたくさんしてきたのですが、一般的なビジネスと比べればかなりスローに動いていたという自覚があります。今後は、それぞれのプロジェクトを1から5、5から10と、関わってくれている人たちに恩返しをするという意味でも規模感や濃度を少しずつでも上げていきたいです。また、もちろん写真家としても日々学ぶことばかりなので、展示や書籍などを通じて表現をしつつ、お仕事としての写真もより良いものづくりに携われるように心も身体も鍛えていきたいと思います。
今現在、自分がどこにいるのか、この先どこへ向かっていくのか、僕自身にもはっきりとはわかりませんが、今後も僕たちが生きている環境やその周りで起きていること、また身の回りの人やいただけているお仕事、それぞれの活動に真摯に向き合って良い循環を生み出し、その循環の中に自分も身を置けるように精進したいと思います。

