松林真幸|Cores of the Artist

Dec. 10. 2025

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さまざまな雑誌やメディア、広告などで活躍するフォトグラファーたち。彼らはどのようにして写真と向き合い、撮り続けているのでしょうか? 活動を続ける上での「中核」となる価値観について、詳しくお話を伺います。

今回は、企業広告やWebメディア、ファッション誌やカルチャー誌、タレント写真集やアーティスト写真などを手がける商業カメラマンの松林真幸さんにインタビュー。10年以上にわたり、クライアントから支持され続ける仕事の流儀と、近年変化したという写真との向き合い方について、詳しく伺いました。

Masayuki Matsubayashi

Photographer

1988年生まれ。大学在学中にカメラと出会い、商業写真の世界へ飛び込む。2013年よりフリーランスとして独立、2014年にTF21 Photo Studioを設立。2019年5月より東京に拠点を移す。2024年7月に株式会社未完を設立し、法人化。さまざまな広告写真で活躍するほか、2023年には「AdgetPoket」のCMにて監督デビューも果たしている。

クリエイティブな仕事に憧れ、商業カメラマンの道へ

「re-quest/QJ FOR ROOKIES」2024年秋号 表紙

―― 商業カメラマンとして独立し、今年で12年を迎えた松林さん。商業カメラマンを志したきっかけについて教えてください。

大学在学中にカメラに興味をもち、さまざまな写真展へ足を運んでいたのですが、そのなかで商業カメラマンの人と出会う機会があり、「写真って仕事になるんだ」と知ったことがきっかけです。

自分もこの世界で仕事をしたいと思い、「アシスタントとして現場に連れて行ってください」と頼んでみたりしたのですが、そのときに出会った方々からは「お前はカメラマンに憧れてるだけだからダメだ」と突っぱねらましたね。それでもクリエイティブに関連する仕事に就きたいという想いが拭えなかったので、とりあえず雑誌の編集者を目指すことにしました。

上)「彩 きもの学院」、下)ハウス食品「しあわせの激辛 チキンカレー」

―― 就職活動の段階では、出版社や編集プロダクションを受けてらっしゃったんですね。

そうなんです。ところが、僕が学んでいたのは法学部でしたし、「Photoshop」や「Illustrator」の使い方すらも知らないような状態だったので、どこからも内定はもらえませんでした。でもそのなかで、とある編集プロダクションに「最低限必要となるソフトの使い方を勉強しておいで。その上でうちで働きたいというのなら、そのときは雇ってあげる」と言っていただけて。それで卒業後は、大阪のフォトスタジオでアシスタントをしながら、「バンタンデザイン研究所」の雑誌エディターコースに通うことにしました。

編集者になるためにはじめた勉強でしたが、編集エディターコースの先生にヘアメイク学科のフォトシューティングの授業に連れて行ってもらったとき、撮影をしながら「やっぱり、撮影を通じてものづくりをする、こんな仕事がしたい」と強く思いました。みんなと作品をつくって、それをビジュアル化させるという感覚がおもしろくて。それで結局は、大阪の広告制作会社に就職し、社員カメラマンになりました。

「Adget Pocket Projector」の広告ではスチールと監督を担当

―― 松林さんが25歳の頃、入社してからわずか2年半ほどで、フリーランスとして独立されていますよね。これにはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

当時、大学時代の彼女と結婚していたので、自分のなかに「家族を養わないといけない」という想いがあったのですが、制作会社の給料では厳しかったんですよね。

一度、大手のスタジオに転職してみたりもしたのですが、仮採用の時点から「今までの現場経験があるんだから、わざわざアシスタントをしなくても、自分ひとりでできるんじゃないか」という想いが芽生えて。「やっぱり僕、独立しようと思います」と正直にスタジオの社長に伝えたら、「僕もそのほうがいいと思ってたよ」と言われました(笑)。それで改めて独立することにして、今年で13年目になりますね。

写真との出会いと、厳しい教えの宗教からの脱却

―― 大学在学中に写真に興味をもたれたということですが、何かきっかけとなるできごとがあったのでしょうか。

当時の恋人が、趣味で写真を撮っていたんですよ。トイカメラが流行していた時代でしたが、僕はまわりがあまり手を出していなかった二眼レフを購入して、気になるものを撮ったり現像したりしていました。

実は僕は、宗教二世で。幼少期から厳しい戒律に従って暮らしていたので、大学に入るまで、宗教外の人と交流したり、カメラのような趣味をもつことも、あまりなかったんです。恋愛も当然禁止されていたので、恋人ができたのも初めてのことでしたし、大学時代はとても刺激的でしたね。

―― 近年では、宗教二世の就職難も問題になっていると聞きます。商業カメラマンという道を選ばれたことに、信者であるご家族からの反発はなかったのでしょうか?

恋人の存在が家族にバレてしまったことがきっかけで、大学在学中に宗教を強制的に脱会させられたので、それ以降家族とは疎遠になってしまいました。血縁者でも、宗教を脱会した人間とは関わってはいけないというのが、信者同士の決まりだったので。なので、就職活動については、自分自身の自由にできました。

家族と疎遠になったことには複雑な気持ちもありますが、大学生になってからは、自分の好きなことややりたいことを見つけて「もう宗教をやめたい」という気持ちがあったので、仕方がなかったと思っています。恋人の存在が明るみにならなかったとしても、この世界を目指すためには、遅かれ早かれ脱会しなくてはいけなかったんじゃないかな。

初心にかえって気づいた、本当にやりたい2つのこと

―― 松林さんにはポートレート以外にも、さまざまなジャンルの撮影に柔軟に対応されている印象があります。お仕事はどのように選ばれていますか?

これは大阪出身のカメラマン特有かもしれないのですが、僕、ほんとうになんでも撮ってきたんですよ。人物の撮影だけでなく、アパレルの商品撮りや、料理、建築物なんかも撮りました。大阪で活動していた頃は、やっぱり東京に比べて案件自体が少なかったので「何でも撮ります!」というふうに対応していたんですよね。上京してからはポートレートの依頼が8割くらいになりましたが、今でも、求められる限りどんな撮影も請けようというスタンスでいます。

「re-quest/QJ FOR ROOKIES」

―― 活動拠点を大阪から東京に移されたのは、やはり案件が多いからというのが理由として大きかったのでしょうか?

30歳くらいの頃、関西の大手企業の広告をやらせてもらえたり、大阪での仕事がうまいこと軌道に乗っていたんですが、「よりステップアップしたい」という気持ちが芽生えて、有名なクリエイティブディレクターの方々にブックを見てもらったんです。そこで「松林くんが何をしたいのかわからない。こんなところで満足していたらダメだよ」と叱咤激励いただいて。それで改めて初心にかえろうと思ったとき、2つの想いが残ったんですよ。

1つは、ずっと好きだったMr.Childrenまでたどり着きたいということ。彼らのつくり出す音楽と育ってきたから、ミスチルとともに培ってきた、自分の根本にある世界観をクリエイティブに活かしたいと思いました。そしてもう1つは、タレントの方や俳優さんを起用した広告に挑戦してみたいということ。この2つは、カメラを始めた頃から持ち続けてきた想いだなと気づいたんです。この2つを叶えるには、東京に行くしかないなと思って。

―― 見事に上京前の目標を達成されていますね!

広告写真に関してはそうですが、ミスチルのほうは、まだまだですね(笑)。思春期の頃からずっとミスチルの曲を聴いていて、彼らの音楽は、自分のつらいときや頑張らないといけないときにも寄り添ってくれていました。僕も、そういう誰かのBGMになるような、寄り添える作品をつくりたいんです。でも、なかなかむずかしいですね。

商業カメラマンとしての自分だけでなく、写真家としての自分も大切にしたい

主催イベントでの松林さん

―― 松林さんはカメラマンを対象とした勉強会も頻繁に開催されていますが、これはどのようなきっかけで始められたのでしょうか?

きっかけは「宣伝会議」のアートディレクター養成講座ですね。年に一度、アートディレクターとカメラマンをブッキングさせるという授業があるのですが、アートディレクターの受講生のところにカメラマンが10人くらい派遣されて。

ふだん現場にカメラマンは1人しかいないので、カメラマン同士が知り合う機会は多くないのですが、そこで出会ったカメラマンと意気投合して、「この歳になると、ほかの人のライディングを見る機会ってないよね」「僕らも学生みたいに刺激をもらいたいよね」という話になったんです。それで、ライティング勉強会や交流会を、彼らと一緒に開催することになりました。

―― たしかに、ある程度経験を積んでくると、ほかの人の技術を学べる機会は少なくなりますよね。お互いに切磋琢磨し合いたいという想いから、今もコンスタントに開催されているのでしょうか。

スタートにはそういう想いももちろんあったけれど、写真業界全体に貢献したいという理由のほうが強いかも。勉強会には、前回の開催でも130人ぐらいの方が参加してくれたりして、カメラマン同士の交流を生み出すことができているし、すごく有意義なんですよ。もっとカメラマンが手を取り合って活動できたら、機材の情報だとか、撮影における相談とかをし合いやすいと思っていたから、これは素晴らしいことだな、と。

―― なるほど。では、松林さんがご自身のステップアップや、今後もフォトグラファーとして活動を続けるために、個人的にしていることはありますか?

先ほどもお話したとおり、自分の目標のひとつにしていることが、まだうまくできていないと思っていて。ずっとビジネスマインドが強かったので、自分の撮りたい世界観や自分の作家性というものにこれまであまり向き合えていなかったなと、ここ最近考えるようになったんです。

昨年、あるカメラマンの方と話す機会があって、「僕はここ5年くらいスナップというものを撮っていない」という話をしたんですよ。するとその方は「私はずっと撮り続けてる」と話していて、「スナップはね、執着だよ」と言われたんです。僕はその言葉に、目から鱗というか……とにかく、人生感が変わるくらいの衝撃を受けて。「僕は写真でも、仕事でも、人間関係でも、執着しながら生きてきただろうか」と思ったんです。

それからは、作品撮りをしたり、スナップも意識して撮るようになりました。まだそれを対外的にどうしようとは考えていないのですが、いつか自分の商業のポートレートと、ふだん撮っているスナップの世界をうまく融合させられたらいいなと思っています。

―― 長らく商業の視点で撮り続けてきた松林さんが、新たなターニングポイントに立たれているのですね。

たぶん僕のなかには、商業カメラマンとしての自分と、写真家としての自分がいて。今までは写真家としての自分を疎かにしてしまっていたけど、これからは写真家としてのマインドや、自分の日常も大事にしようと思っているんです。これまではSNSでもあまりネガティブなことは発信しないようにと気をつけていたけれど、いろんな感情を言語化していくことも大切にしたい。そういう自分の人生や内側にあるものを大切にすることで、写真家として大きく成長できるんじゃないかなと思っています。

by Masayuki Matsubayashi

松林真幸|Cores of the Artist

Dec 10. 2025

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