さまざまな分野のクリエイターと連携し、ひとつの作品を編みあげる。いわば裏方として作品づくりを支える「編む人」たちに、クリエイティブの美学を伺います。
今回は、写真集の編集や展覧会のキュレーションを手がける池谷修一さんにインタビュー。池谷さんは、写真家との密なやり取りが必要となる編集者・キュレーターとして、どのようにクリエイティブを支えているのでしょうか。写真家とはまた違った「写真」との向き合い方と合わせて、詳しくお話を伺いました。

神奈川県横浜市生まれ。武蔵大学人文学部卒業。Bゼミスクール参加。2011年から2020年まで、『アサヒカメラ』編集部に在籍。現在は写真集の編集や展覧会のキュレーション、ワークショップを行っている。「木村伊兵衛写真賞」事務局担当。スライドショー「LONG SEASON」主宰。主な編集作品に『WOMEN』(ソール・ライター)、『terra』(GOTO AKI)、『少女礼讃』(青山裕企)、『On The Corner』(ハービー・山口、中藤毅彦、大西みつぐ)、『深い沈黙』(小林紀晴)、『90Nights』(藤代冥砂)、『SHORES』(木村克彦)、『この星の中』(三森いこ)など。はじめてキュレーションを行なった展覧会は、荒木経惟の「色景」。近年手掛けた展示に「写真家はどこから来てどこへ向かうのか —世界を歩き、地球を変換する写真」(西野壮平× GOTO AKI)、「ウロボロスのゆくえ」(土田ヒロミ)、「すべて光」(熊谷直子×川上なな実)、「KIPUKA: Island in My Mind」(岩根愛)、「七菜乃と湖」(笠井爾示)、「裸足の蛇」(佐藤岳彦)、「たしか雨が降っていたから、」(インべカヲリ)、「Fat Fish Observations Report(Planet Fukushima 5)」(菅野純)などがある。2025年「ニュー・ピクチャーズ」展(The Reference / ソウル)にキュレーション参加。
写真集や写真誌の編集は「平面の編集」、展覧会のキュレーションは「立体の編集」
―― 2020年に惜しまれつつ休刊となった「アサヒカメラ」で編集者としてご活躍された池谷さん。写真誌の編集者というのは、かねてから志していた職業だったのでしょうか。
写真誌の編集者というのは非常にニッチというか、「なりたい」と思ってもなることが難しい職業なんです。自分が編集部に参加できるとは思っていなかったのですが、写真集というものをつくりたいとはずっと思っていたので、20代の頃からそのために動いてはいました。フリーランスで編集やライター、コピーライターをしながら、写真にまつわる記事を書いたり、写真家にインタビューしたり、展覧会づくりに参加したり。
かつて富士フィルムのオフィシャルサイトに「The Photographer」という、“巨匠”と目された写真家たちの半生をインタビューで綴るコンテンツがあったのですが、その取材や記事化を年に数本単位で担当していた時期がありました。それを評価してくれていた方から、「アサヒカメラ」のweb版「アサヒカメラ.net」が新たに立ち上がるので参加してみないかというお話があり、推薦していただいて、しばらくはアサヒカメラ.net全般をディレクションしていました。その後に雑誌のほうも参加してほしいということになり、編集部に入ったんです。編集部自体は人の入れ替わりが少なくて、外部から参加できるチャンスというのはほとんどなかったので、とても幸運なことでしたね。

―― 「アサヒカメラ」は94年という長い歴史をもつ写真誌でしたが、池谷さんは最後期にあたる10年間に参加されていましたね。「アサヒカメラ」でのお仕事を通じて、写真に対する価値観などは変化しましたか?
写真自体には小学校高学年の頃から興味をもっていて、高校生になると小学館の「写楽」や白夜書房の「写真時代」などの写真誌も眺めるようになっていたのですが、興味の中心は写真よりも、音楽や美術のほうだったんですよね。なので、写真への興味や知識が深まり「写真に特化した編集者」を名乗れるようになったのは、「アサヒカメラ」での経験のおかげだと思っています。
業務委託という形で編集部に所属していたので、他の出版社から出す写真集を企画したり、別の仕事も並行して行っていたのですが、コロナ禍の影響や広告収益の減少もあり、いよいよ「アサヒカメラ」の存続が難しいと感じ始めた頃には、外部の仕事のほうにも比重をかけるようになっていきました。でもそんなときにも、「アサヒカメラ」のページづくりで関わった作家さんと新たな仕事ができたりしましたし、編集部時代に構築できた人間関係も、自分の仕事によい影響を与えてくれたと思っています。

作者との入念なやり取りを経て完成。批評文も寄稿。
―― 編集者としてだけでなく、キュレーターとしても活躍される池谷さんですが、キュレーターとしてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
僕は、作家さんとコンタクトをとったり、作品を選んだり、予算を組んだり、展示の構成や設営をしたり……といった、展覧会にまつわるすべてを担うタイプのキュレーターなのですが、そういった仕事を初めてしたのは編集者になるより前のことで、91年ごろだったと思います。キュレーションよりも編集のほうに注力していた時期があったりするので、途中に間が空いていたりもするんですが、自分としては「編集者」という仕事と「キュレーター」という仕事を分けて考えていないというか。まったく違う2つの仕事をしているという認識はないんですよね。
―― 池谷さんのなかで、キュレーションは展覧会という「場の編集」の感覚なのでしょうか?
そうですね。web記事や雑誌の編集が「平面的」だとしたら、展覧会づくりは「立体的」というか、大きくいえばキュレーションも編集の一環だと捉えています。
写真家とのものづくりには、「丁寧につきあうこと」が大切

藤代さんと池谷さんが20年ぶりの再会をきっかけに編んだ写真集。展覧会、クラブでのイベントと連動させた。


―― 写真集の編集や展覧会のキュレーションでは、写真家の方とどのように関わっていますか? 共にものづくりをする上で、大切にしていることがあれば教えてください。
写真の編集者という職業自体、世間的な認知度は高くありませんし、写真家さんのなかにも「よく知らない」という方は多いと思います。個人的には、漫画の編集や、文芸書の編集に似ている部分があると考えているんですが。写真家さんによっては、選択する作品やその並びなども相談しながら決めていきたいという方もいますし、自分の意志を尊重してもらいたいという方もいるので、作家それぞれの考えを理解した上で、その方自身が胸を張れるような写真集や展示をつくるようにしています。
大切にしているのは、写真家の方と「丁寧につきあうこと」ですね。一口に写真家といっても、作家である以前に人としての個性があるでしょう? 性格や好み、ものづくりの仕方などはひとりひとり違うわけですから、その人がどういう人なのか知った上で、共にものづくりをすることは大切にしていますね。

―― やはり、密なコミュニケーションは欠かせないのですね。
そうですね。冗談半分ですけど、僕は自分のことを「カウンセリング型編集者」なんて言っています(笑)。でもそれは、相手の悩みを解消するというわけではないですよ。写真家さんご自身がもっている考えやアイデアなどの本音を引き出して、咀嚼しながら具体化していくことを、自分ではカウンセラー的だと思っているんです。
「この作家さんは、たぶんこんなことを考えているんだろう」と想像していても、話をしてみると、予想を超えてくる部分が必ずあります。それは、こちらが型にはめようとしなければ、必ず写真家さんのほうから予想を超えるものを見せてくれるということなんです。ですから、編集にしてもキュレーションにしても、「相手の話を丁寧に聞く」という姿勢は崩してはならないものだと思いますね。
大量の写真を公開できる画期的なスライドショー・プログラム「LONG SEASON」
―― 池谷さんが2021年から主催されているスライドショー・プログラム「LONG SEASON」は、どのようにして生まれたのでしょうか。
写真作品をスライドショー形式で発表するというアイデアは、30年ほど前、荒木経惟さんの展覧会に携わったときに生まれたものなんです。当時、荒木さんはポジフィルムを2台のアナログプロジェクターで投影していくという、手動ディゾルブのような形で「アラキネマ」というスライドショーをしばしば行っていて、大きな影響を受けました。
「LONG SEASON」が生まれたのには、「アサヒカメラ」の編集者時代に、せっかく編まれた作品の背景にたくさんの日の目を見ない写真が発生することを実感したことが関係しています。例えば、写真家と一緒にテーマを決めて100枚の写真を扱ったとしても、誌面に載せられる写真はせいぜい数枚程度。「この写真の向こうにはもっとたくさんの写真があって、それを公開することができれば、テーマをより深く伝えることができるのに」と思ったんです。でも、写真誌に100枚の写真をすべて掲載するなんて、無理な話ですからね。
―― なるほど。それで、「スライドショーならたくさんの写真を一気に公開できる」と思い至ったのですね。
そうですね。音楽に例えると、デモテープみたいなものですかね。とくにジャズなんかだと、最初に演奏したものにどんどん肉付けしていって、テイクを重ねて、それをアルバムにしたりしますよね。そういった作品の生っぽさが、写真においてはスライドショーという形で実現できると思ったんです。
アナログのプロジェクターでスライドを映写していた頃とは違い、今はデジタルの力を使ってスライドショーができるので、いいものが撮れたらすぐに公開できるというのも魅力です。誌面に載せるとなると、そのための構成やデザイン、印刷もしなくてはならないし、時間もお金もかかりますが、スライドショーはすぐに、予算もあまりかけずにできてしまう。そういうライブ感のある発表の場というものを設けることで、写真家の方々への刺激や学びが生まれてくれたらいいな、と思っています。

―― 「LONG SEASON」という名前には、どのような意味が込められていますか?
シンプルに「季節に一度は開催したい」という意味もありますし、「写真を観ることと写真家が作品をつくり続けることはつながっていて、ずっと終わらないんだ」というメッセージのようなものも込めています。
僕は、イベントでも雑誌でもテレビの番組でも、「続けていくこと」ってすごく大切だと思っているんです。たまたま見かけた人に「なんかやってるな」「今は観れないけど、次は観てみようかな」と気にかけてもらうことで、認知度は少しずつ上がっていきますし、関わる人もじわじわと増えていく。「LONG SEASON」は今年で4年目になりますが、これからも長く続けていくことによって、参加してくださる写真家の方や、足を運んでくださる方を増やしていけたらいいなと思っています。
また、「LONG SEASON」からのZINEのリリースを始めました。スライドショーに参加してくれている写真家の作品集です。第一弾が蓮井元彦さんの「gost」。デザインは写真集を多く手掛けている伊野耕一さんにお願いしました。こちらもいいものを継続して出していきたいですね。
編集者・キュレーターとしての、写真との向き合い方

―― 池谷さんの写真への向き合い方は、写真家のそれとはまた異なると思います。池谷さんは編集者・キュレーターとして、どのように写真作品と向き合っていますか。
長年この仕事をしているので、向き合い方や考え方は変わってきている部分もありますが、「いいと思ったものを明るみに出して、シェアする」という姿勢は変わっていないと思います。
写真には「いろんな良さ」があると思うんですが、見せ方だったり、並べ方だったりによって、それがうまく表現できていないこともあります。ですから、僕の役割は、そういったものを調整して、より良く見せることじゃないかと思っているんです。作品が最高のものになるさまを僕も見たいし、作家さんにも喜んでもらいたいんです。

―― たしかに、つくり出されたものをよりよい形で発表したいというのは、編集者・キュレーターならではの向き合い方ですね。
数年しかもたないような作品をつくることには、あまり興味がないんです。芸術って、直接的に人の役にたつものではないと思うけれど、心を豊かにするものだと信じているので、「10年前、20年前のあの作品もいいよね」と言ってもらえるような、長く人を豊かにできる作品を送り出したい。ですから、これからも写真家の方々がつくりだした作品を「磨く」ことをしていきたいと思っています。

ストレートな写真でありながら、美術作品の鑑賞に拮抗する強度と実在感を模索した二人展。ドキュメントブックも制作した。