第6回目のゲストはアートディレクターの矢後直規さん。ラフォーレ原宿の広告をはじめ、写真集や空間デザイン、プロダクトなど独自の感性を活かして様々なクリエイションに携わっている。そのユニークなアイデアのルーツとは?
(インタビュー実施日:2023年4月当時)

矢後さんの作品はコンセプトを重視しているだけでなく、歴史的な深みを踏襲したうえで、“ だからこそ今、何をしていくのか ” という部分を意識されているように感じています。実は、そういった部分が SNS ならではのいわゆる “ 瞬発的な写真 ” に欠けているところだと思っているのですが。
同感です。写真に限らずグラフィックデザインもそうですが、画の力だけでなく、考え方のようなものでも人の心を動かさないと成立しないと思います。世の中には、作品を目で見て感動する人と、言葉で理解してから感動する人がいて、どちらも放置してはいけない。僕自身は画自体の力が好きですが、言葉が好きな人たちを放っていてはその方たちは画の魅力に気づけない。だからそこに感動するようなコンセプトやストーリーも必要なんですね。
わかりやすいですね。パッと見て「いいな」と感じ、さらに自分の知識や教養とかけ合わせてみて「よく考えられているな」と気がつくとさらに大きな感動がくるパターンがありますよね。でもその両方を満たすことができるクリエイティブはなかなか難しい。特に写真はそのメディアの特性上、両立させられる例はすごく少ないのかもしれません。
そうですね。僕の場合、たとえば仕事をお願いするかもしれないという方向で話をしている時、すごく盛り上がると「あぁ、いいな」と思います。その人の生き方やどういう風に写真を撮っているのかという部分とその人の作品がつながらないと、豊かな仕事にはならない気がしています。
2017年のラフォーレの仕事で、広告写真を引退されていた坂田栄一郎さんに撮影を依頼しました。最初は断られたのですが、「事務所に遊びにおいでよ」と言ってもらえて、写真の話や石岡瑛子さん、伊藤佐智子さんの話題で盛り上がって、いきなり2時間くらい話し込んでしまったんです。最後に「断られたけど、ラフだけ見てもらってもいいですか?」とお願いしてみたところ、「絶対にやらないけど、見るだけならいいよ」と言ってくださり、見た瞬間に「やる!」と言ってくださって。
素晴らしい話!(笑)ラフに惹かれたということもあると思いますが、それこそ矢後さんの人間性ややりたいことを、会話の節々で感じとられて、全部ひっくるめて決断をされたような気がしますね。そういえば、矢後さんは昔からかなり上の世代のフォトグラファーと仕事をされている印象があります。
当時はそこまで考えていませんでしたが、思い返してみれば広告のクリエイションみたいなものを、過去から自分の時代につなぎたかったのかなと。同じ世代のフォトグラファーと仕事をするのももちろん面白いのですが、年齢が離れている方とのほうがより多くの感覚が集められるような気がしています。
写真や広告を舞台に長年活躍されてきた方たちとご一緒することで、今の時代の感覚を等身大で感じ取られている矢後さんがその方々の思いをより遠くへ、未来へ届けようとなされていたのですね。加えて、予測不可能な “ 偶発性 ”があるかどうかも写真のポイントだと考えていますがどうでしょうか。
その通りです。実際、坂田さんとのラフォーレの仕事は合成はいっさいなし。ポジフィルム一発撮りでお願いしています。これは坂田さんからの提案でもありますし、自分への試練でもありました。


企画制作=博報堂+SIX CD+AD+D=矢後直規 P=坂田栄一郎
Pr=重村洋佑 ST=伊藤佐智子 HM=稲垣亮弐 A=鍵山清志
Ret Pr=岩谷礼子 Ret=宇江由美子 A=鍵山清志 AE=宮坂隆行
振付=ぱわぁ 出演=FILLIP・OSUKARI PM=相吉こづえ・小林永美 製版+印刷=サンエムカラー


さらにその一方で、矢後さんは緻密なラフを用意されるなど、画としてのビジョンをしっかりと持たれている印象もあります。
どの仕事にも共通していることでもありますが、しっかりと自分のベストを作っておいたうえで自然や成り行きに流されるままにしてみる。それでどういう形ができているかを楽しむところがありますね。たとえば河原で石を積み上げて形を作ると。「よし、これがいい!」と思ってガッチリ組んだあとに、嵐を待ってどうなっているか見にいくようなワクワク感。その構造が残っていること、耐えていることに美しさを感じます。全壊していたら失敗なんですけどね ( 笑 )。
ちょっと話が飛びますが、僕は “1対多数 ” を基準とするコミュニケーションには、1人ひとりが入ってこられる余地を残すことが大切だと思っています。「バタフライ・エフェクト」という考え方がありますよね。蝶の羽ばたき1つがトルネードを引き起こすように、計算で全てが導き出せるという考え方に対して、些細なことが大きな結果をもたらす可能性がある、という考え方です。個々の人間は小さな存在でも、未来の大きな結果に影響できるのではないか。そんなロマンを感じた人々に賛同されたのではないでしょうか。同じようにデザインのような大きなビジョンを伴うものも、小さなエラーやノイズがロマンに繋がるのではないかと思っています。
カオス理論ですよね。その繋げ方が素晴らしいですね! まさに矢後さんの作品には多くの人に知ってもらいつつ、かつ解釈の余地がある強度を保っている。意識されているのでしょうか?
よく「矢後の作品はわかりづらい」と言われるのですが(笑)、あえてそうしようとしています。その根底には “ 能動的でないと、人はものを見ることができない “ という考えがあるからです。どこまで人を能動的にさせるか、それが “ 引き込む ” ということですよね。そういうものを作りたいとは思っていますね。
矢後さんのすごいところは、人々に観察させるための程よい余白を生み出せているという点です。難しすぎない柔らかさがあり、舌が肥えている人もそうじゃない人も楽しめるバランスが絶妙です。ちなみに写真を用いる表現では、アートディレクターとして撮影にどの程度関わられますか?
一緒に突き詰めていく時と、ほとんど関わらない時で幅がありますね。写真の役割が多様なので、アートディレクターとしての写真との関わり方も多様にしなければいけない。アートディレクターにはクライアントに完成イメージを伝える役割がありますが、「こういう画を撮る」と約束すると絶対にその画を撮らなければいけない。だから僕は「こういう“ テーマ ” の画を撮ります」とする。それなら画はフリーになります。アートディレクターとして写真を扱いたいなら、そこが一番気をつけなければいけないポイントかなと思います。
確かにそうですよね。フォトグラファー的にも「こういう画を撮る」という完璧なビジョンを出されるより、コンセプトに軸足を置いていたほうが余白もできるし、最終的な完成度も高い。
“ 特定のビジュアル ” が欲しいのか、“ 写真 ” が欲しいのか。写真を選ぶなら、写真に寄り添うべきだと考えています。だから、少なからず今まで写真に何が起こって、どう変化してきたかを勉強しておく責任があると思っています。たとえば、僕は人間ですが、それは自然になったことなので理由を説明できません。でも僕がアートディレクターになったのは自分の意思なので説明責任がある。そのためには、写真やコミュニケーションについて説明できるように理解をしておかなければいけない。
自分の意志が介在するものには説明責任がある。刺さりますね。常々思っているところでもありますが、そこを意識しているかどうかに成功のカギもあるのではないかと。その延長線で言うと、矢後さんは日本人であることや日本という国を意識されているように感じます。
めちゃくちゃ意識しています。日本人であるということはものすごいアイデンティティだなと。言語から来ているのかもしれませんが、思考も他国とあきらかに違うじゃないですか。
独自の文化を作りまくっていますもんね。でも、矢後さんはそこに軸足を置いているというわけではなく、事実として受け入れて、引き出しの1つにしているというか。その軽やかさもいいんですよね。展示のタイトルにされていた「婆娑羅」も日本的な価値観ですよね。
編集者の菅付雅信さんに「矢後さんって婆娑羅っぽいよね」と言われて初めて知った言葉だったんですが、意味を知ってすごく嬉しかったんです。日本の文化といえば “ 侘び寂び ” のイメージが強いけど、僕は引くのも苦手だし我慢強さもない(笑)。一方、婆娑羅は調べれば調べるほど自分の考え方に近いんですよね。削ぎ落とすんじゃなく、あちこち盛り込む。
東海道五十三次のような圧縮された構図もそうですよね。写真だったら到底作れない絵ですし、自分のリアルな知識とイマジネーションのかけ算なんだろうなと。そういった部分を理解したうえで作品を作られているところが強みなんですね。最後になりますが、矢後さんがこれから若手フォトグラファーと仕事をしていく時、彼らに何を期待しますか?
会話をしてビビッとくるものがあるかですね。その時に僕がやりたいことと、その人のやりたいことが合うかどうかとか。その仕事を撮ってもらって終わりじゃなくて、次の仕事まで見ることができるかどうか、次の見えない景色がその人と一緒に組むことで想像できるかどうかなので、ピュアな状態で作った作品を見せてほしいですね。
点ではなく線で見られているのですね。「撮っていて楽しい」の一方で、「なぜ自分が写真家であろうとするのか」というところを常に自覚しておかなければならない。
おっしゃる通りですね。若い頃はフレッシュさで突破できるけれど、いつか“ 深み ” が必要なタイミングが来ます。僕もいまそういう年齢に差し掛かっていますが、そうなった時に若い頃に蓄積してきた作品、考えの深さや幅広さが自分を助けてくれると思っています。
フォトグラファー生存戦略とは
企業のマーケティング活動をコンテンツで支援するXICO(ヒーコ)。エンジニアからフォトグラファーにキャリアシフトし、企業コンサルティングなども手掛けマルチに活動するヒーコ代表 黒田明臣氏が、広告写真業界を軸に独自の観点で様々なプレイヤーと対談。この時代をフォトグラファーが生き抜くためのヒントを、対話の中から導き出す。
ヒーコとは
企業のコミュニケーションをデザインし、クリエイティブで実装していく、コ・クリエイティブカンパニー。多角化する企業のマーケティングやブランディング活動を、プロデュースとディレクションを武器に支援。市場や媒体を横断しながら企業の付加価値を高めるための成果をお届けすることがヒーコの役割です。
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※本記事は『コマーシャル・フォト』2023年6月号の転載となります。