さまざまな雑誌やメディア、広告などで活躍するフォトグラファーたち。彼らはどのようにして写真と向き合い、撮り続けているのでしょうか? 活動を続ける上での「中核」となる価値観について、詳しくお話を伺います。
今回は、ファッション誌やカルチャー誌、映画スチールなどでも注目を集める、木村和平さんにインタビュー。独自の世界観をもち、クライアントワークでも唯一無二の存在感を放つ木村さんに、作品づくりや仕事へのこだわり、写真との向き合い方について、詳しくお話を伺いました。
ファッションスナップに憧れ、フォトグラファーの道へ

―― 木村さんが写真に興味を持ち始めたのは大学在学中だったと伺いました。それ以前は、カメラにふれる機会などはなかったのでしょうか?
高校まではテニスに打ち込んでいたこともあり、カメラをもつ機会というのはとくにありませんでした。大学進学を機に上京したのですが、もともとファッションが好きだったので、放課後は原宿にくり出すようになり、そこでファッションスナップと出合ったことが、写真に興味をもつきっかけになりました。
当時はまだ「TUNE」や「FRUiTS」などのストリートファッション誌が流行していて、表参道の通りにカメラマンがたくさん並んでいたんです。カメラマンが独自の視点でおしゃれな人に声をかけて撮影するという、現在のSNSで行われているものとはまた違ったストリートファッションスナップの文化が、最後の盛り上がりを見せていた頃ですね。僕も当時は風変わりな格好をしていたので、ありがたいことに撮影してもらえる機会が何度かあり、そのうちにストリートカメラマンの方々に憧れをもつようになりました。
あるとき、親しくなったカメラマンの方から、Canonの初心者向けの一眼レフを譲っていただけて。「早速自分も人に声をかけて、撮影させてもらおう!」と思ったのですが、実際に挑戦してみると、社交的な性格ではない自分には向いていないことに、すぐ気がつきました(笑)。それでストリートスナップは諦めてしまったのですが、写真を使って作品づくりをしている方と出会う中で、自分も作品を作ってみようと思うようになったんです。
―― 2015年には、かつて立川にあった「gallery SEPTIMA」で初個展「Piano」を開催されていましたが、活動初期であったにもかかわらず、既に木村さんの作風は確立されていたように思います。
技術的な部分でいうとまだまだ未熟でしたし、自分のやりたいことに対して能力が追いついていない時期だったと思いますが、自分の好きなニュアンスだとか撮りたいと思うものだとか、そういう根本的な部分は、当時も今も変わっていないかもしれませんね。
―― 幼少期から抱えてきた「不思議の国のアリス症候群」の症状をモチーフにした「石と桃」をはじめ、木村さんの作品にはご自身の体験や経験が反映されたものが多い印象ですが、それはなぜでしょうか。

僕は、作家の作品づくりというのは、多くの場合何かしらの体験から生まれていると思っています。たとえば、すごく遠い国のスナップや、高い山の上からの風景写真でも、実際にその国に滞在したり、登山をしたりといった、写真家自身の“体験”がありますよね。規模や距離感が違うだけで、体験という部分でつくり出されるのはみんな同じだと思うんです。たまたま僕が取り扱いたいと思うのが、自分の生活圏内にある身近な体験だというだけ。もしかしたら、今後それも変化していくかもしれませんが、自分の体験から作品をつくるというのはずっと変わらないと思います。
―― 木村さんの作品にはフィルム写真のイメージが強いですが、現在はフィルムとデジタルどちらを使用されることが多いですか?
全体で見ると、8割くらいはフィルムを使用しているかと思います。でも、今はとくに自分で「どちらかだけで撮りたい」とは思っていないんです。それこそ、写真をはじめたての頃はフィルムに執着していましたし、デジタルに対して否定的な気持ちをもったりもしていたのですが、ここ数年で考え方が変化し、作品にも積極的にデジタルを採用するようになりました。
とはいえ、クライアントワークでも「フィルムで撮ってほしい」とご要望をいただくことが多いですね。それはたぶん、フィルムで撮れるフォトグラファーというのが少なくなってきているということや、僕に「デジタルでも撮れる」というイメージがないというのも関係していると思うのですが……。個人的には、どちらも適材適所で使い分けていきたいと思っています。
―― クライアントワークでも、木村さんが撮られた写真には、独特の世界観があらわれているように思いますが、パーソナルワークと意識して撮影に違いをもたせることはありますか?
仕事でも作品でも、「カメラを使って撮る」という行為自体に差はないと思っています。とはいえ、意識的な部分では、ここ4〜5年はまったく別物だととらえていますね。
かつては「仕事でも、作品のように撮らせてもらえないと嫌だ」と思って、これまでの自分の経験を反映させた“作品づくり”を理解してほしいと考えてしまっていました。でも、クライアントの方々にしてみれば、僕の背景なんて関係ないことですし、相手からの要望がない限り、あまり私情を持ち込むべきではないんじゃないかと思うようになって。あくまで自分の仕事は「いい写真を残すこと」だと理解した上で、仕事には、写真を撮る装置でありながら、個が滲み出ている存在として参加できるよう、脳みそを切り替えられるようになりました。
ある程度経験を積んで技術を得て、パーソナルワークで自分の思い描く作品を残せるようになってきたおかげで、そう考えられるようになったのかもしれません。

どんな仕事より大変でも、映画スチールを続けるワケ
―― 今泉力哉監督作品の「愛がなんだ」をはじめ、映画スチールでもほかにない存在感を放つ木村さん。もともと映画はお好きだったのでしょうか?

映画はずっと好きですね。中学生くらいの頃から、能動的に観るようになりました。「TSUTAYA」に行って、洋画の棚の左上から順番に借りてみたり、DVDジャケットの写真やデザインが魅力的な作品を借りてみたりといったことをしていました。正直にいえば、写真よりも映画のほうが断然好きです。なので、映画に関わる仕事がしたいというのはずっと考えていました。
―― 映画スチールのお仕事は、どのようにはじめられたのでしょう。
一番最初に関わったのは、僕と同世代の内山拓也監督の自主映画「ヴァニタス」でした。2016年ごろですね。とはいえ、その作品には数日参加したくらいで、映画スチールの何たるかはよく理解できていなかったと思います。その後、共通の知人を介して今泉監督と出会い、「愛がなんだ」のスチールに呼んでいただいたのですが、それがいわゆる商業映画に初めて参加した作品でした。
―― 「愛がなんだ」はその印象的なビジュアルが、当時大きな話題となりましたが、あれがほとんど初めての案件だったのですね。
僕自身、生意気にもあの映画のビジュアルには「この写真しかありえない」と当時から思っていて、宣伝部の方々にかなり無理を言い続けてティザービジュアルに採用してもらったという経緯があります。
商業映画は関わる人数がほんとうに多いので、いろんな立場の意見がありますし、業界ならではの暗黙の了解などがあったりするのですが……。当時はそういったことを何も知らなかったので、「このあと映画業界で干されたっていい」と思いながら、自分の譲れない部分を尊重しながら、精一杯仕事をしていました。
結果、ティザービジュアルが世間でちょっとした話題になって、本ビジュアルにも採用してもらえることになって。映画自体がヒットしたこともあり、業界の方々から認知してもらえるようになって、ありがたいことにスチールのお仕事をいただけるようになりました。
―― 映画のビジュアルについて、スチールカメラマンさんがジレンマを抱えることは多いと聞きます。
そうですね……。僕が10代の頃、YouTubeもそれほど広まっておらず、映画の予告というのは今ほど気軽に観られるものではなかったので、ポスターやDVDのジャケットなどで見られるビジュアルが、その作品を「おもしろそう」「観てみようかな」と思うきっかけになっていたと思います。なので、今でもいい作品にはいいビジュアルがついてほしいと思ってしまうのですが、なかなか思い通りにいく現場ばかりではないというのが正直なところです。
宣伝部の方々やプロデューサーの方は、映画作品を広めるプロなわけで、経験からくる確かな感覚をお持ちだと思うんです。とはいえ、やはり映画における写真の立ち位置というのは、あまり健全とはいえないなと感じていて。いまだに現場でもさまざまな議論が巻き起こりますし、自分でも積極的に意見は出したほうがいいと思っているのですが、その結果わかりあえることもあれば、うまくいかなくなることもあります。なかなか難しいですね。
―― 木村さんが映画業界でお仕事されるようになり、まもなく10年が経とうとしていますが、大変ながらも映画スチールを続けられている理由はなんだと思われますか。

ほんとうだ。いつのまにか、そんなに経っていたんですね。とはいえ、自分はそこまでたくさんの作品を経験してきたわけでもないんですが……。やはり、人生のなかで映画から受けた影響が大きいですし、映画というのが自分のなかですごく優先度の高いものなので、やめられないんだと思います。
正直、自分が関わった中だと、映画スチールの仕事はほかのどの仕事よりも大変です。撮れる時間は短い一方で、待機時間は長いし、異なる立場の方とわかり合えないことも多い。でも、僕はもともとスポーツを長く続けてきたこともあり「大変な分、鍛えられてるな!」と思ってしまうんですよ(笑)。うまくいかないことが多いなかでも、なんとか自分の爪痕を残していこうという根性論的な気持ちがいまだにはたらくから、なんとか続けられているのかもしれませんね。
何をしていても、頭の片隅には常に“写真”がある
―― お仕事や作品づくりのほかに、日常的にもよく写真を撮られていますか?
昔は常に写真を撮っていましたが、ここ5年くらいは、ぜんぜん撮らなくなりました。たぶん、理由はいろいろとあるのですが……。
「あたらしい窓」という作品をまとめていた頃、外出にカメラを伴わないことが増えたり、持ち歩いているのに1枚も撮らないことなどが多くなり、「これまで日々の写真を撮っていたのに、撮れなくなった」と悩んだり、焦ったりする時期がありました。でも、いろいろ考えた結果、「べつに無理に撮らなくてもいいんじゃないか」と思うようになりましたね。

―― そう思えるようになったのはなぜでしょう。
世の中には毎日数百枚の写真を撮って、どんどんアウトプットしている方もいると思うんですが、焦っていろいろと考えるうちに「僕はそういうタイプじゃないよなあ」とわかりましたし、写真を撮っていなくても、朝起きてから夜眠るまで、常に頭の片隅で写真を意識しているということに気づいたんです。写真以外のアートを観ているときにも、映画や演劇を鑑賞しているときにも、やっぱり頭のどこかには、写真のことがある。日常のなかで写真を撮り続けることよりも、常に写真に向き合っているということのほうが自分には重要なんだと気づいたら、「べつに悩まなくてもいいか」と思えるようになりました。
―― 写真だけでなく、映画や音楽、ファッションなども、木村さんを構成する重要なものかと思いますが、それらも常に頭の片隅にあるのでしょうか。

それが、ないんですよね。興味関心としては、映画や音楽、絵画や建築などいろいろありますが、四六時中考えてしまうものとなると、写真以外にはない。やっぱり写真っていうのは自分にとって特別なもので、だからこそ、ここまで続けてこられたのではないかと思います。
でも、「自分は絶対に写真の人間だ」と思っているわけでもなくて。撮れないときにはべつにカメラを持たなくていいし、一旦写真から離れて、ほかのことをやってみたらいい、くらいのスタンスでいます。極端な話、「自分にとって写真ってなんなんだろう」「なんで写真じゃなきゃダメなんだろう」と考えること自体が“写真家”なんじゃないかと思うんです。僕は、そうやってぼんやり考えているうちに新たな“撮りたい”というものに出会えた経験があるので、自分の波も受け入れながら、常に写真のことを考えていきたいと思っています。
Information
EXHIBITION
木村和平 写真展 「石と桃」
Roll
〒162-0824 東京都新宿区揚場町 2-12 セントラルコーポラス No.105
2025年11⽉20⽇(木) – 12⽉7⽇(日)
13:00 – 20:00/会期中無休
https://yf-vg.com/roll/kk_c.html
BOOKS
「石と桃」
写真:木村和平
デザイン:宮添浩司
発行:赤々舎
定価:8,000円(税別)

