さまざまな雑誌やメディア、広告などで活躍するフォトグラファーたち。彼らはどのようにして写真と向き合い、撮り続けているのでしょうか? 活動を続ける上での「中核」となる価値観について、詳しくお話を伺います。
今回は、ファッション誌やカルチャー誌、グラビアやタレント写真集などで、20年以上活躍し続ける笠井爾示さんにインタビュー。クライアントワークでも圧倒的な存在感を放つ一方で、ご自身の作品もコンスタントに発表し続ける笠井さんに、「写真家」と「フォトグラファー」の両立や、写真への向き合い方について、詳しくお話を伺いました。

1970年生まれ。1996年初個展「Tokyo Dance」(タカ・イシイ・ギャラリー)を開催し、翌年に同名の初作品集「Tokyo Dance」(新潮社、1997年)を出版。以降エディトリアル、CDジャケットやグラビア写真集を手がけ、自身の作品集を多数出版。主な作品集に「Danse Double」(フォトプラネット、1997年)、「波珠」(青幻社、2001年)、「KARTE」(Noyuk、2010年)、「東京の恋人」(玄光社、2017年)、「となりの川上さん」(玄光社、2017年)、「七菜乃と湖」(リブロアルテ、2019年)、「トーキョーダイアリー」(玄光社、2019年)など。「Stuttgart」(bookshop M、2022年)で2023年日本写真協会作家賞を受賞。
作品とクライアントワークの違いと、それぞれの面白さ

―― 作家として作品をコンスタントに発表されている一方で、ファッション誌やカルチャー誌、タレントの写真集といったクライアントワークでも、30年近くにわたり支持され続けている笠井さん。活動を開始されていた頃から、現在に至るためのキャリア形成は意識されていましたか?
僕が写真集を初めて出したのが90年代後期で、すでに27歳になる頃でした。それまで写真の仕事はしたことがなかったし、「これをきっかけに写真家になろう」ともまったく考えていませんでしたね。もともと写真は好きで、それ以前からずっと撮っていたけれど、仕事にしようとは思っていなかったんです。作品を出しているうちに、仕事をいただけるようになったというだけで。
幸運にも20数年仕事を続けさせてもらっていますけど、正直なところ、今でも「2ヶ月先にはどうなっているかわからない」という感覚でいます。もし仕事がなくなっても写真を撮ることは続けているだろうけど、仕事っていうのは、オファーがなければ成り立たないものですからね。実際、仕事の多い時期・少ない時期というのはありますし、常に崖っぷちを歩いているような感覚です。定期的な収入が担保されている職業に就いている方から見れば、狂気の沙汰でしょう(笑)
―― 長く仕事を続けられるために、意識してされてきたことなどはありますか?
とくにないんですよね。もちろん「仕事をしたい」という気持ちはすごく持っていますし、仕事に対するプライドもしっかりあるんですが、営業活動をしたり、自分をアピールしたりして、ガツガツ仕事を取っていくタイプではないというか……。「気がついたらここにいた」というほうが正しいかもしれません。

―― 雑誌などのクライアントワークでも、笠井さんが撮影された写真には作家性が感じられるように思います。笠井さんご自身は、作品とお仕事を区別して撮影されていますか?
意識の部分では区別していますが、「写真行為」という意味では、クライアントワークも作品も変わらないと思います。
僕からすると写真行為というのは、何かを探して何かを見つけて、そして選択していく行為。「これを撮ろう」とか「ここでシャッターを切ろう」とか常に選択しているわけですし、もっといえば、たくさんの写真のなかから「これを採用しよう」という選択もしていますよね。そういう意味で、僕は写真は「選択の芸術」なんじゃないかと思っていて。それ自体は、仕事でも作品づくりでも変わらないなあと思います。
クライアントワークでは「笠井さんらしい“生々しさ”を出してください」と依頼されることもありますが、作家性をあまり出さないよう気をつけることも多いです。とくに、少年誌のグラビア撮影などではそうですね。読者が見たいのはモデルの方であり、作家の個性などは求められていないので。でも、作家性を隠すのって、意外に技術が必要なんです。僕は作家性とはいわば撮影の「クセ」のようなものだと思っているので、そのクセを出さないように気をつけて撮るというのは、それはそれでなかなかおもしろいものなんですよ。
―― ご自身らしさを出さないように撮影するのを、負担に思われることはないのでしょうか?
まったくないですよ! だって、仕事ですから(笑)。読者に寄り添った写真が求められているのに、自分の作家性を押し出すとしたら、それは傲慢じゃないかと思ってしまいます。
でも「なるべく自分らしさを出さないように」と意識して撮っているのに、時々「これ、笠井さんが撮ったでしょう」と言い当てられることがあったりして、それはそれでおもしろいですね。実のところ、僕は自分の作家性というのはどんなものなのか、今ひとつピンときていないんだけど、見る人からすればどこかに滲み出ているものなのかなと思うと、興味深いです。
日常で撮るすべての写真は「作品になり得るもの」

―― 笠井さんは、お仕事や作品づくりが目的でないシーンでも、常に写真を撮り続けられているそうですね。
基本的に、クライアントワーク以外で撮っているすべての写真は「作品になり得るもの」と思っているんですよ。結果的にそれを写真集や写真展で発表するかしないかはわからないけれど、感覚としては常に作品のつもりで撮り続けています。
2022年に発表した「Stuttgart」は、かつて家族で暮らしていたドイツ・シュトゥットガルトで母を撮影した作品ですが、それも最初から世に発表しようと思って撮っていたわけではありませんでしたし、兎丸愛美さんを撮影した「羊水にみる光」も、3年くらい撮り溜めていた彼女の写真を最終的に写真集に仕上げたものです。僕の作品はいつもそんな感じで、あまり「作品」と「そうでないもの」を厳密に線引きしないうちにできあがっていますね。

―― 先ほど、笠井さんはご自身の作家性についてよくわからないとおっしゃっていましたが……。笠井さんの作品の魅力といえば、被写体の極めてプライベートな表情や、生々しいセクシャリティを垣間見せるような、ある種親密性も感じさせる「視点」が思い浮かびます。作品をつくる際、どのように被写体と向き合われているのでしょうか。
便宜上使用することもありますけど、個人的な感覚としては、「被写体」という言葉はあまり好きじゃなくて。僕自身は相手のことを、被写体ともモデルとも思っていません。批判的なことを言いたいわけじゃないですけど、例えばポートレートといわれるジャンルでは、撮影を目的として相手と会って、そのときだけの関係として別れることが多いですよね。僕には、そういうスタイルはあまり合わないんです。
僕はその人と会って撮影をするとしたら、その人のことを自分の写真家としての人生に巻き込むような感覚というか、自分の写真の一部になってもらうつもりで接しています。相手の方は「笠井さんの被写体です」というつもりで来てくれているかもしれないし、その撮影以降会う機会もないかもしれないけれど、僕のなかでは「写真家としての人生のなかに、その人との関係性が生まれている」っていう認識なんです。もしかしたらそういう考え方が、言っていただいたような「親密性」になっているのかな? 自分でもすごくエゴイスティックだなと思いますけど(笑)。写真家ってエゴだけど、そこに溺れることはせず、距離感や認識を誤らないようにしたいとは思っています。
大事なのは、どう写真と生きていくか

―― 長年にわたり最前線で活躍を続けられる笠井さんの姿に憧れる、若い世代の写真家も多いと思います。もしそんな方々にアドバイスするとしたら、どんなことを伝えられますか?
若い世代の方のなかには、仕事はたくさん請けているけど作品は生み出せてない人や、反対に、作品はコンスタントに発表しているけど仕事にはつながらない人もいると思いますが、あまり悩みすぎず「今はそういう時期」ととらえるだけでいいんじゃないかと思っています。ある程度仕事で名前が売れるようになってから作品を発表してもいいし、その逆もそう。100人いれば100通りの活動の仕方があるわけで、セオリーなんてないでしょう? 仕事であれ作品であれ、写真を撮り続けてさえいれば写真家でいることはできると、僕は思っているんです。
写真家として生きていきたいのならば、どんなカメラやレンズを使うか、どんな撮り方をするかはそれほど重要ではなくて、「どう写真と生きていくか」が大事。べつに、毎日撮らないといけないとか、常に写真作品を発表し続けなくてはいけないということではないですよ。自分が写真とともにどんな人生を歩んでいくか、どう向き合っていくか意識することで、写真家は写真家たり得るんじゃないかな、と。若い人には若い人なりの魅力がありますが、それなりに写真と付き合ってきた人は、必ず熟した作品を生み出せるようになると思っています。僕が伝えられるとしたら、それくらいかな。
―― 笠井さんにとって写真は人生から切り離せない存在かと思いますが、それでいて、写真というものをフラットに捉えられていますよね。
写真は自由なものだし、あんまり難しく考えすぎないほうがいいと思っているんですよ。先ほどもお話したように、写真行為というのはほんとうにシンプルなもの。こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけないととらわれなくてもいいんです。写真というのはとても間口の広いものだし、「やりたいなら撮る」「やりたくないなら撮らない」くらいの向き合い方でもいいんじゃないかな。僕自身もそういう気持ちで、これからも写真と付き合っていきたいと思ってます。