「イイね!」の数と、写真の良し悪しはまた別の話
だいぶ昔の話ですが、祖父の葬儀が長崎でありました。お通夜とお葬式のあと、みんなで「江山楼」ってお店で中華のコースを食べました。
すごい美味しくて、あと、すごい量が多くて、前菜からスープから、肉に野菜に魚介に、と、どんどん出てきまして、もうはち切れんばかりに満腹になったそのあとに、なんと最後に「ちゃんぽん」が出てきたんですよ。いやいや、最後に単品完結のちゃんぽんとか、そんな一発勝負なものが出てきて、食えるかよこんなに!とか、思ったことがありました。
その後、満腹でみんなヨタヨタしてたからなのか、帰り際に父が、祖父のお骨をお店に置き忘れかけて大騒動、というお茶目エピソードがありましたが、これは今日のコラムとは関係のないお話です。ちゃんぽんはちょっと関係あるかもしれません。
今回は、写真の傾向によってみせ方に向き不向きがあるんですよ、ある一面での「イイね!」評価が写真の良し悪しにはすぐ繋がらないんだよ、というお話です。
ただ、俺の魂の一杯を喰らえ:ラーメン型写真
Web上に、特にFacebook、Twitter、Instagramのような写真SNSなどにでは、日々、タイムライン上にたくさんの素敵な写真が載っています。
そのなかで自分の写真も生き残りたい!この写真がみんなの目に止まるようにしたい!と思ったら、やはりどうしても、サムネイルをクリックしてもらいやすい、一枚だけで完結することのできる、迫力のある単写真で勝負する方法が有効です。
なぜなら、いろんな人々のいろんな写真が並ぶなかに自分の写真を並べるとき、「自分の写真はこういう経緯と背景と文脈があって、こういう思いでここに提示したんですよ」みたいなお話を、観てくれる人ひとりひとりに丁寧に解説したり、読み解いてもらうというのは、事実上かなり難しいからです。
すると、SNSなどに投稿される写真はどちらかというと「ただ俺の魂の一杯を喰らえ!」という、ラーメンのような写真が増えてくる、生き残る傾向があります。
タオルを頭に巻いて、作務衣を着たヒゲのおっちゃんが、腕組みしてる写真が店の前に飾ってあるアレですね、あんな感じです。私はこういう写真を「ラーメン型写真」と勝手に呼んでいます。
ラーメン型写真は、こってり系のアブラ多め味濃いめだったり、あるいは、どこまでも澄んだスッキリ系なのか、みたいな幅は持ちつつ、基本的には1枚の写真の迫力と完成度がひたすらに高められ、磨かれていきます。
そして、写真のまわりにあったはずの、前後の文脈や、写真を撮るに至った背景、のような情報は、取り去られるか、もしくは写真にすべて埋め込まれていきます。魂の一杯だけあって、十分な迫力があり、一枚の写真をみたときの満足感はとても高くなるのが特長です。強力なラーメン型写真には、たった一枚で観た人を打ちのめし、虜にする魅力が存在します。
とはいえ、ラーメン型の写真を、単体としてよく出来た人気の写真だから、と、ただ単純に集めてずらりと並べて提示したりすると、けっこう観る側としては辛いものとなる場合が多いです。
「コース料理が前菜からメインからデザートまでぜんぶチャンポン」
みたいな感じになってしまうと、クドくもなってくるし、ただ単調な力押しだったら、観ていると疲れちゃいますよね。また、前菜は二郎系ラーメン、メインに家系ラーメン、デザートは背脂チャッチャ系ラーメン、のように「一枚一枚のパワーはあるけど、全体としてバラバラだった」という感じで胸焼けした感想になったりすることもあります。
もちろん、技量によっては、怒涛のパワーをずらり陳列し、圧倒的迫力をもって鑑賞者をねじ伏せる唯一無二の展示になることもあります。そこは写真の力と技量次第です。
ですが、一般的には、ラーメン型写真をまとめて提示するには「ひとつの大テーマを設けて、個別の写真はその実施例とする」「フォーマットを揃えて、バリエーションとして並べて示す」あたりが効果的な戦術となっているようです。
かすかなささやきの兆候を見出す:ミルフィーユ/懐石型写真
その一方、写真って力強い1枚で完結する形ばかり、とは限らなくて、
「一枚だけでははっきりとはわからないけれど、何枚も何枚もたくさん集められた写真群を通しで観ていくと、その全部の写真を通じてぼんやりと何かが見えてくる」
だったり、
「写真群ぜんぶが、いわば一冊の本や紙芝居のようになっており、そのページを意味している写真を通しで観ていくと、最後に全体的な感想が立ち上がってくる」
という体験を生む、そういう写真も、やっぱりあります。
私は前者を「ミルフィーユ写真」、後者を「コース料理型写真」とか「懐石型写真」と、自分で勝手に呼んでいます。ポイントは「写真群」であって単体では完結しない点、つまり、たくさんの写真をみて初めて感想が出てくる、という点です。
こういった、ミルフィーユ写真や懐石型写真は、なんというか、
「耳を澄まし、目を凝らして、奥の方に朧に浮かぶかすかなささやきの兆候を見出す」
というような(ちょっと大げさに書いていますが)細やかな表現がやりやすくなります。で、SNSなどに写真を1点だけ切り出して投稿して勝負するには、正直なところ、懐石型写真はあまり向きません。
タイムラインに濃い味の家系ラーメンが並ぶなか、京風な煮物椀を出して、「どないですか、薄味の中に光る繊細なお出汁、感じてもらえまっしゃろか」、と言っても、なかなか難しいよね、ということになってしまいます。
さらに、1枚だと不十分だから…と、たくさんの写真をずらっと用意して、観てくれる人に自発的にめくってもらえるようにしても、集中してみる環境になりにくいSNSなどでは、ますます不向きなのが分かるかと思います。
「イイね!」の数と、写真の良し悪しはまた別のお話
ここまでで、「独立して力強く存在するラーメン型写真」と「集まって一つのもやっとした何かを生成させるミルフィーユ/懐石型写真」という説明をしました。
ここで私がいちばん大事なことだと思っているのは、
「Web上では、どちらかというとラーメン型に注目があつまって、ミルフィーユ/懐石型は不人気になってしまうが、それがすなわち良し悪しを意味しているわけではない」
ということです。
Twitterとかでは特にそうなんですが、タイムライン上では百戦錬磨の猛者たちが、素敵でかっこいい、「強い」写真をばんばんアップしてて、ああ…こういう素敵写真を撮らないとみんなには見てもらえないのかと思って、凹んじゃう、ということがあるのではないかと思います。
そんなタイムラインを横目に、自分の写真を見返しては、うーん、私の写真は地味なミルフィーユ系だよね、やっぱりファボも閲覧数も少ないし、あんなにいっぱい「いいね!」がつかない。これは、自分の写真に魅力がないのかな…などと落胆されている方も、もしかしたらいるんじゃないかと思います。
…押される「いいね!」の数だけでいうと、残念ながらミルフィーユ/懐石型はラーメン型ほど観てはもらえません。これは事実です。
ですが、これは作品が良いから、悪いから、ではありません。単に媒体への向き不向きの話であって、SNSなどでアピールしていくのが苦手なジャンル、というだけなのです。
ど迫力の凄みを持つ強い写真は、そのたった1枚で、私たちに電撃のような衝撃を、忘れられない感動を与えることができます。
一方で、一撃必殺のラーメン型写真では表現しにくい、「ミルフィーユ/懐石型写真でしか出せない魅力」というもの、ひとつひとつ丁寧に写真を読み解いて、感想を繊細で心の奥底にじわじわと溜めていくことで、私たちを深くゆさぶる至福の写真体験というのも、これは、確実に存在します。
こういったミルフィーユ/懐石型の写真をやっぱり私は提示したいのだ、というならば、きちんとミルフィーユ/懐石型の写真が生きる方法を選択してやらなければいけません。
紙媒体であれば個展やブック制作、Web媒体であればSNSではなく自分のウェブページを用意して誘導してみるなど、「写真を観る人々がちゃんと集中して写真に向かい合える環境をお膳立てする工夫」が別に必要となります。
その手間は正直とても面倒で、なおかつ、鑑賞者に要求するハードルがどうしても高くなります。結果として、どちらかというと、頑張っているわりに人気出ないなぁ、みたいにはなると思います。
ですが、その報われなさ感を乗り越えれば、きっとそれだけの手間をかける価値が出てくるのだと、きっと素敵な鑑賞体験を味わってもらうことが出来て、(私は自分がラーメン型写真ではないことを踏まえてですが)そう考えています。
自分の写真にあった写真提示の方法を探ろう
これまでにおそらく何度も言っていることで、そして何度でも言いますが、自分の写真がどうあるべきか、は自分で決める話だと思います。
どちらが良いか、どうあるべきかというお話では決してありません。しかし、やはり、自分の写真が立つ位置を知らないままに、不利な状態で不利な戦いをやみくもに続けるのはしんどいし、辛い気持ちになると思います。
せっかく心を込めて制作した自分の写真が、みせ方に失敗したがために誰にも届かない、それはとてももったいなく寂しいことです。
なんだか自分の写真が、そんなに誰にもリーチしていない気がする、だけどどうやったらみてもらえるのかがよく分からない。
そんな方は、いちど、自分の写真が、果たして一撃必殺のラーメン型写真なのか、囁きに耳をすませるミルフィーユ/懐石型写真なのかを見直してみて、自分の写真の持ち味に、特徴に合った提示の仕方を探ってみるというも、良いかなと思います。
それでは。
※このお話を書く前に少し調べていたら、写真評論家の飯沢耕太郎氏が、写真集やポートフォリオの種類を「ストーリー型」「図鑑型」「群写真型」と分類して、それぞれの歴史、特徴を明快に語ってらっしゃいました。Webへの向き不向きについては言及されていないため、分け方こそ少し変わりますが、概ね分類の意図は変わらないかなという印象ですので、興味のある方はよければこちらのお話も参考にされてください。
記事のリンク先はこちら:http://news.mynavi.jp/column/photologue/016/