フォトグラファーのためのオンライン写真コミュニティである500px。この時代に写真をはじめたフォトグラファーで、国内外にアンテナを張っている人であれば、おそらく知らない人はほとんどいないであろうという超巨大コミュニティですが、今回はその創始者であるエフゲニー・トチェボタレフ氏とヒーコ黒田明臣氏の対談をお送りします。
何故、彼がいま日本にいるのかというのがもっとも素朴な疑問でしたが、500pxが生まれるまでの経緯からゆっくりと聞いていきたいと思います。3,500年ぶりに英語で会話をしたので、いつもとは一風変わった雰囲気でお届けいたします。(記事は翻訳されています。)
エフゲニー・トチェボタレフ×黒田明臣 対談「写真と生きてきたエフゲニー・トチェボタレフの半生」
エフゲニー・トチェボタレフ氏は現在日本在住との情報を入手しまして、こうして対談が叶っているわけですが、英語で誰かと対談するときが来るとは思いませんでした。人生なにが起こるか本当にわからないですね。とにかく聞きたいことはたくさんあるんです、一体いくつ質問したいのか覚えていられないほどに。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
なんでも聞いてください(笑)
ひとまずベーシックなところから聞いても良いでしょうか?
いったいあなたは何者なのか、とか、例えば、何処で生まれたのかとか。
そうですね、どこから話したらいいのかな。まず、生まれと育ちはロシアのモスクワです。家族全員でカナダのトロントに引っ越したのは16歳の頃です。僕にとっても家族にとってもカナダでの生活は全てが新鮮でした。
ロシアからカナダへ!随分生活環境が変わったんじゃないかと思いますが。
いつ頃写真とは出会ったんですか?
初めてカメラを買った18歳の頃ですね。その頃はありとあらゆるものを撮影していました。その1年後にはロシアのコネクションを使った写真のオンラインコミュニティをつくりました。19歳の頃です。
19歳でコミュニティを立ち上げたんですか!
500pxの前身と言えますね。
当時はインターネットの回線も当然今より遅かったし、色々と大変でした(笑)
そうですよね(笑)
画像ひとつダウンロードするのにも時間がかかる時代にフォトコミュニティをやるなんて相当な苦労があったんじゃないですか。500pxという名前からも分かる通り、当時は500pxくらいの大きさだったわけですもんね。
まさにその通りです(笑)
Flickr や Facebook よりも前に500pxは生まれた
500pxはカナダが創業ですよね、ということはその時もずっとカナダにお住まいだったんですか。
そうですね、ずっとカナダにいました。大学もカナダの大学に進みまして、入学時の専攻はビジネスでした。たくさんのプログラムや専攻が選べたんですが、ビジネスだけは今後汎用的に使える分野だと思ったからです。
そして500pxを大学在学中につくりました。
大学生の時に500pxをつくったんですか!それは知らなかった、驚きです。
当時の500pxはまだ法人化もしていなかったし、サイトもなくソーシャルブログサイトLiveJournalの中のいちコンテンツにすぎませんでした。
いやすごいですね。学生時代に趣味の一環でつくったコミュニティが今や誰もが知るような世界的なコミュニティへと発展しているわけですよね。
大学在学中ということは何年前になりますか?かなりの歴史を持つコミニュティですね。
そうですね、2004年ごろの話です。今から14年も前です(笑)
丁度Facebookがリリースされる2ヶ月前で、Flickrもまだ存在しなかった時代ですね。
FacebookやFlickrよりも先輩になるんですか!
そもそも何故500pxを始めようと思ったんですか?
やはり写真が好きだったからですね(笑) もっと自身のコミュニティを広げたいと思ってはじめました。
500pxの行方
2007年に大学を卒業してからはマーケティングやデザインの仕事をしていました。まず自分ができそうな仕事からやろうと考えてのことです。当時の500pxもまだ法人化していなかったですしね。
けっこう幅広いジャンルのお仕事をされていたんですね。
そうですね。
その頃丁度仕事が落ち着いていたので、1回ロシアへも戻りました。何か新しい仕事をロシアで探そうと思い立ってのことです。
でも中々上手く行かず半年でカナダに帰ってきてしまいましたが(笑)
感覚的にはもうカナダが母国。というか、「帰る」という表現をされるんですね(笑)
忙しくされていたように聞こえます(笑)
その当時の500pxはどんなコミュニティだったんですか?
当時の500pxは絶好調でしたね!毎月毎月凄いスピードで成長していきました。
あくまでもビジネスではなく趣味の一環だったからマネタイズはしていませんでしたが、コミュニティがみるみる大きくなる過程を見るのはとてもエキサイティングでした。毎日わくわくしてましたね。
訪れる500pxの転機
2009年ごろ初めて500pxのウェブサイトができました。まだ全然サービスも完璧じゃなかったけれど、着実に成長しつつありました。
翌年2010年に500pxをもっと大きなサービスにしようと決意したところ、500pxを取り巻く環境は大きく変わりましたね。
なるほど、いよいよ我々がよく知る現在の500pxに近づいていくわけですね。
そうですね、フルタイムを500pxに使おうと決めたのも自分にとって大きな転機でした。
となると、全力で注力しだしたのは2010年の頃になるわけですか〜。
エフゲニー氏にとっての転機は、まさに500pxにとっての転機でもありますね(笑)
いや本当にそうですね。
その時からたくさんの投資家にも会いました。最終的に500pxのために2500万ドル(※1ドル=100円換算だと約25億円)の投資を集めることになりました。最高に忙しかったですね。毎日オフィスで寝泊まりして、睡眠時間は毎日2時間ほどだったかと思います(笑)
2500万ドル!?想像以上の額ですね。相当500pxは期待されていたんですね。
しかし2時間睡眠とは、ナポレオンよりも少ないじゃないですか(笑)
自分一人では到底やっていけなくなっていたでしょうね(笑) 情熱を持ったメンバーが集まっていたからこそです。
そうそう、500pxの共同創業者(Oleg Gutsol)は実はパーティーで偶然出会った友達なんですよ。趣味が凄く合って一緒にバイクでツーリングにも行ったし、ハイキングもしたし、プライベートの友達でもある仲間なんです。彼は生粋のプログラマーで、当時の役割分担は彼がバックエンドのプログラミングをして、僕がフロントのUI/UXデザインを担っていました。今思えば息のあった凄く良いパートナーでしたね。
素晴らしい!そしてうらやましい!(笑) UI/UXのデザインは自ら行なっていたのですか、前職が活きましたね。
そうです。かなりデザインには気を使っていました。
当時のGoogleやYahooのデザインはけっこうひどかったんですよ(笑)
500pxは写真のためのサービスだから、デザインに徹底してこだわろうと決めて、いかに綺麗に、大きく、写真を見せられるかを追及しました。
同じくフォトコミュニティであるFlickrの写真は凄く小さく表示されていましたしね。
なるほど。とにかく写真にフォーカスしていたんですね。
たしかに今の500pxが当時の500pxと同じレイアウトかはわかりませんが、1枚1枚が大きく、写真を見るのを楽しめる印象です。
結果的に500pxは破竹の勢いで成長を続け、驚異的な成長率が続きました。100%の成長率が続いたんです。それも毎月ね。
いや実に興味深いお話ですね。
世界中のフォトグラファーが500pxに集まってきて、写真をシェアするプラットフォームが出来上がっていきました。
ちょうどその頃初めてTechCrunch(アメリカのビジネス系ニュースサイト)にも記事を書いてもらったんですよ。チームみんな大喜びでした(笑)
TechCrunchは夢ありますね〜。そして、成長の喜びを分かち合える仲間に恵まれていたのも素晴らしいです。
はい(笑)
ただ、プラットフォームが大きくなるのは新たな問題との出会いでもあって、その頃だとサーバーとの戦いが始まりました。サーバーがパンクするのが怖くて、夜中でも数時間ごとに起きてちゃんと動いているかチェックしていました(笑)
投資資金を集めては、新しいサーバー代に使うような日々が続きましたね。マーケティングにはほとんどお金は使わず、とにかく開発にお金をかけていました。
世界的なコミュニティですもんね。
パンクは想像するだけで恐ろしいです(笑)
500pxでの主な取り組み
しかし、500pxの成長性は目覚ましいものがありますが、何が飛躍の決め手となったんでしょうか。
フォトグラファーとして日常的に500pxを利用している限りでは見えない取り組みなどもありそうですね?
そうですね、積極的に他社ともコラボレーションしていたのが特徴ですね。
例えばGoogleのChromecastとはパートナー契約を結びました。彼らの写真は500pxから見つけたものだったりします。最終的にはChromecast全体の50%は500pxからの写真だったりとか。
他にもAppleのMac Bookのデスクトップ用に写真を提供したり、Airbnbと仕事をしたり協業の幅をどんどん広げました。500pxの取り組みは”スクリーンあるところに500pxの写真あり”というコンセプトでした。
GoogleにAppleにAirbnb!世界的大企業ばかりじゃないですか。
Appleの壁紙をはじめ、使用写真がいくつか500px経由というのは噂に聞いているところでした。
500pxは勿論、巨大なプラットフォームですが、それらの大企業にも写真を提供していたとなると、スクリーンあるところに500pxありというミッションを体現しているように感じますね。
それこそ500pxの写真を目にしない日はないんじゃないかと思ってしまうくらい(笑)
あとはフォトグラファーのアサインメントやマネージメントも行っていました。多くのIT企業が自分らのサービスにクオリティの高い写真を必要としていました、しかしながら、そんな写真を撮れるフォトグラファーを発見できずにいたんです。
だから僕らが代わりに企業の要望に適したフォトグラファーをアサインする仕事も始めたんですよ。UberやBooking.comとか優秀なIT企業とたくさんやり取りがありました。
これまた世界的な大企業ですね(笑)
あと、500pxではストックフォトサービスなんかもやっているんですよ。
ご存知でしたか?
そうですね、私自身フォトグラファーとして500pxを利用している時見かけたことがあります。
利用したことはないのですが。
ストックフォトのサービスは500pxが行っていた仕事の一部にすぎません。
むしろストックのサービスはマーケティング目的だったとすら言えるかも。ビジネスとして伸ばす役割はGoogleやApple、それから多くのスタートアップと協業することが重要でした。
あまり知られていないんですが、BtoB向けにはどんな写真がより良い広告効果を得られるかを検証する写真の分析事業もありました。
マーケティングのアドバイスまで行なっていたんですか。
実は色々やっているんですよ(笑)
どんどん500pxが大きくなるにつれ写真の露出を増やしていくと同時に、500pxサイト以外で写真を使う時でも必ずフォトグラファーの名前やリンクを載せるなどクレジット表示の徹底をしていました。
そうすることで多くのフォトグラファーが認知され周知されていって欲しいと思ったからです。
素晴らしいですね。
それはフォトグラファーにとっても嬉しいでしょう。
そうですね。
フォトグラファーのプロモーションとして行なっていました。
500pxがフォトグラファーの為に色々やってくれているのを感じたら、フォトグラファーもやはり写真を載せるのは500pxにしようと思うでしょうし、それはいい循環ができそうですね。
500pxとの別れ
そんな500pxを手放していったのはどういう心境の変化や出来事があったんですか?
そうですね、まず2015年頃から徐々に500pxの業務からは離れていきました。その頃初めて中国に行ったんですよ。もともとは視察目的だったりしたんですが。
そこで見た景色は僕にとって”未来”そのものでした。人々とテクノロジーが密接に関わる、新しい生き方だと感じたんです。
確かに。自分も中国におけるテクノロジーと生活の共生は物凄いパワーを感じています。これまでの先進国では決断できない導入を盛んにされている印象というか。
そうなんです。それがとても衝撃的で、それから北米での生活とも比較するようになりました。特に500px創業の地カナダでは人々にとって仕事は楽しみながら行うものという文化があり、そこに競争という概念自体がなかったんです。
そこが決定的に中国は違う。どんな産業でも競争が起こっていて、それにより常に進化し、新しい技術が生まれてくるのを目の当たりにしました。
非常に面白い。その競争の世界の中に自分の身を置きたいと強く思いましたね。
またしてもエフゲニー氏にとって大きな転機が訪れたわけですね。
ということはまた500pxにとっても転機が訪れたんでしょうか(笑)
そうですね(笑) その頃、2014年ごろに共同創業者が500pxを去って、僕自身の仕事も会社のマネージメントの仕事に変わっていきました。
所謂”プレイヤー”としての仕事がなくなっていき、徐々に仕事から得られる刺激も減っていったんですよね。そのあたりからアジア中を旅するようになったこともあり、新しい人生を歩み始めようか考え出しました。
アジアとのつながりがやっと出てきましたね。
ようやく一番気になる、なんでエフゲニー氏が今ここ日本にいるの?というところに近づいてきた気がします(笑)
最後に500pxへの投資を受けたのが中国のVCG(Visual China Group)(中国最大のストックイメージサービス)でした。
そこから中国との連携も日に日に増していったんです。
なるほど、ここでVCGが出てくるんですね。
ということは500pxにいよいよその時が近づいてきたということですよね。
そうですね。
2018年3月に500pxの業務から完全撤退。VCGへの事業売却を行いました。
自身もまた新しい刺激が必要だと思ったので次のステージへ登ることにしたんです。
スカイラムとの出会い
なるほど。
そこからエフゲニー氏が現在身を置くスカイラムにたどり着くまではどういった出来事があったんですか?
そもそものスカイラムと私の出会いはまだ500pxにいた頃です。2015年に500pxとスカイラムでグローバルフォトウォークを行いました。文字通り世界中でフォトウォークを開催した世界的なイベントです。あのときはトラブルとかもけっこうありましたね(笑)
例えば予定していたエジプトでは、丁度内戦が起こって死傷者が出て。すぐに国際電話で仲間に「すぐに中止して!」と連絡したりとか。
それはまた大事件ですね。
スカイラムはそのフォトウォークの最初のスポンサーだったんですよね。そのときが初めての出会いです。
そこからどうやってスカイラムへのジョインへと至ったんでしょうか。
まず会社を辞めた後働き出すまでは時間がありました。インドネシアのバリで少し休暇を取っていたんです。
でも2ヶ月も経てば退屈になってしまって。その後インドネシアの家を売るまでそう時間はかからなかったですね(笑)
次は何をしようかなと、たくさんの会社と話しました。
可能性を感じていたアジアで仕事をしようと決めていたので、中国や台湾を中心に次のチャンスを探していたんだったかな。
そしてちょうどそのときにスカイラムから「一緒に働かないか」とオファーがきました。グローバルフォトウォークをやったときから凄く優秀な人たちだと思っていたし、会社のフェーズも昔の500pxに似ていたことがスカイラムへのジョインの決め手でした。
ちょうどユーザー数が急激に成長していたことにも、すごくエキサイティングなタイミングだと確信を持ちましたね。
アントレプレナーとして成功して、そこから別の企業にジョインってテレビの向こう側のような話ですが、ここにいたんですね。スカイラムについて少し教えてくれませんか?
スカイラムはベンチャー企業でとても勇気ある人々が集まる集団なんです。
写真の業界に本気で改革を起こそうとしていて、一緒に働いていていつもワクワクしますね!
それこそ500pxの初期の熱意溢れるチームに似ているというか、大きな可能性を感じる話ですね。
ではスカイラムのLuminarには、どういう可能性を感じているんでしょうか?プロダクトとしても既に完成しているようですが、どうやら新しいアップデートなども控えているとか。
日本人に対してどう使ってほしいといった展望はありますか?
まずLuminarは写真の編集ソフトなんですが、写真の編集ソフトといえばまず大多数の人にとって思い浮かぶのが、Adobeから出ているLightroomやPhotoshopだと思います。
しかし、Luminarという選択肢もあるということをまず知って欲しいですね。このソフトでしか得られない、できない体験がたくさん詰まっているし、写真業界に長く触れ続けてきた僕自身がすごく感動しているポイントがいくつもあります。
だからきっと日本のユーザーにも喜んでもらえると確信しています。
Luminarでしかできない体験というのが気になります。Luminarにしかない機能があるということですよね?
Luminarの特徴は始めからインストールされている60種類以上のプリセットで簡単に写真を編集できるし、AIフィルターを使うことで編集時間の効率化に繋げることもできます。
日本だと写真編集を楽しむ人もいるみたいですが、自分なんかは効率重視の生活をしているので、合いそうですね。
僕らはLuminarを無理やり使って欲しくないんです。まずは無料のトライアルから試して欲しい。そうすればLuminarの良いところを知ってもらえると信じていますから。
まさにそうですね。
Luminarに自信があるからこそのセリフにも聞こえます。まずは触って、そうすれば必ずLuminarの魅力に気づくからと。これからのスカイラムはどのようなチャレンジを続けていくんでしょうか。
まず大きな展望として、国ごとにある写真の特徴を、国境を超えて広げていきたいですね。
日本の編集の仕方は世界的に見ると凄く独特なんですよ。他にも例えばインドネシアとドイツの写真の編集の仕方は凄く違いがあるし、そういった違いを世界中のみんなが楽しめるようにしたいという野望があります。写真は言語や国籍を超えることができるツールですから。
なるほど、世界規模でもっと写真を楽しむための挑戦が続いていくわけですね。
今後のスカイラムの展開から目が離せません。また我々をあっと驚かせるような試みを提供してください(笑)
期待しています!
ありがとうございました!
どうぞお楽しみに!
プロフィール
エフゲニー・トチェボタレフ
ロシアで生まれ育つ。写真投稿SNS「500px」の共同創業者。
フォトグラファーとして数々の受賞歴も持つ。
現在はアメリカ拠点のSkylum社にてアジアマーケットの責任者。
クレジット
制作 出張写真撮影・デザイン制作 ヒーコ http://xico.photo/
カバー写真 黒田明臣
翻訳協力 Kenta Kaneda
Biz Life Style Magazine https://www.biz-s.jp/tokyo-kanagawa/topics/topics_cat/artsculture/